春暁の前に

14話



「昨日は脱線したから、今日はちゃんと霊符の講義するからね!ちなみに、大事なところだから、ノート取ってよね!」
 トレーニング室に行くと、試験前の受験生のように「必勝」ハチマキを巻いた彰二が待っていた。
「……スゲエ気合入ってんな……」
 脱線したとはいえ、必須の四種類の説明は聞いたし、符に霊力を込めるところまでは問題なく終わったのだから、優音に叱られることはなかったと思うのだが。
 彰二はググッとマーカーを握り締めた。
「さっきの会合、斎木君の話題で持ちきりだったんだ」
「は?オレ?」
 まさか、鎮守隊の会合の席で自分の名前が出ていたとは。切実な議題はちゃんと解決したのだろうか。
「なんでオレの話題が出てくんだよ?まだ入隊もしてねーのに……」
「斎木君、昨日、昼頭に勝ったんだって?」
「勝ったっていうか……。抜き打ち試験ってやつには合格したっけな」

 彰二によると、一真の鎮守役推薦の話を知っていたのは、補佐頭や伝令役、講師の彰二など、ごく一部のみで、今日の会合で初めて明かされたのだという。

「あの組長が鎮守役候補に推しているだけでもビックリするのに、いつもは慎重な昼頭も一緒になってプッシュするもんだから、皆、大騒ぎだよ。昼頭が『完敗だった』なんて言っちゃって、顰め面してた夜頭も乗り気になっちゃうし。ついに人手不足解消のホープが現れたって!」
「鎮守役がどうとかじゃなくて、そっちなのか……」
 昨日の優音の態度から、他の隊員からも反発があるだろうことは予想していたが、それ以上に人手不足は深刻らしい。
「言っとくけど、夏までのローテーションは斎木君が加わってくれる前提で組まれてるからね!?そのつもりで頑張って!」
「正気か!?ジイちゃんの許可もらえなくて夏までに入隊できなかったらどーすんだよ!?」
「…………組長が入院すると思う……」
「もっと大事にしろよ……、自分達のトップ……」
「僕達だって何とかしたいけど……、仕方ないんだ……」
 彰二はハチマキを締め直した。
「そんなわけで、僕、責任重大なんだ!皆があんまり盛り上がってるから、つい、斎木君なら一週間くらいで霊符十二種類くらい使えそうって言っちゃったし!」
「人がいねェとこで勝手にハードル上げてんじゃねェ……」
「そ、そんなこと言わないで!お願いだから頑張ってよ!昼頭だけじゃなくて、夜頭も楽しみにしてるんだ!斎木君が頑張ってくれなかったら、僕、皆に怒られるよ〜〜」
「あのなぁ……」
 こういう調子のいいところがある奴だったが。
 一真は息をついた。
「ま、いっか。どっちにしても十二種類全部やらなくちゃいけねーんだしな。
こーなったら、やってやるぜ!」
「ホント!?さすが斎木君!!そー言ってくれるって思ったんだ!!」
 彰二はパッと顔を輝かせた。
「んで?今日は何やるんだ?」
「とりあえず、太常の使い方を覚えてもらおうかなって」
「結界張るヤツだっけ?」
 彰二は数珠から霊符を取り出し、一枚を一真の前に置いた。
「補佐は邪を追い詰めて結界内に閉じ込めるのが仕事だからね。これを使えないと補佐失格なんだ」
「その霊符で結界作ってたんだな……」
 鏡面のいる場所を囲っていた包囲網。浮かんでいた霊符が太常だったのだろうか。
「それと、治療用の六合も早めに覚えてもらったほうがいいよね。北嶺さんや詩織ちゃんがまた襲われるもしれないし」
「ああ、それ頼むわ」
 光咲が邪に侵された時、若菜が言っていた霊符だ。「治療」というのは、邪を取り除くことを指すのだろう。
「でもよ、オレ、基礎すっ飛ばしてるから、自分が怪我した時とかの邪の防ぎ方知らねーけど。そっちはいいのか?」
 昨日の優音の説明だと、邪の防ぎ方も初級講座の護身術に入っていそうだ。鎮守役が邪にやられてしまっては大問題ではないのだろうか。
「そこは大丈夫だよ」
 彰二はマーカーの蓋を開けてペン先を確認した。かなり書くつもりらしい。
「邪に侵されるのは、霊格が丙以下の人がほとんどなんだ。丁以上になると、邪が入っても体内の霊力が勝手に中和してくれて侵されることは滅多にないよ。鎮守役は丁の段階以上じゃないと推薦されないから、斎木君が丁を超えてるのは間違いないし、後回しでいいんじゃないかな……」
「へェ、霊格って大事なんだな……」
「すっごく大事だよ。どれだけ実力があっても、霊格が丁以上にならないと鎮守役にはなれないんだから」

(そっか、それで壬生先輩は……)
 きっと、優音はまだ丁に至っていないのだ。
あんなに強いのに。
 鎮守隊の面々が霊格を重視する理由がわかった気がした。

「さっそく、太常の使い方からやるね」
 彰二はホワイトボードに図を描き始めた。
「霊力をこめて、頭の中でイメージして……」
 ノートを取りながら、一真は軽くこめかみを押さえた。

(……なんか妙な感じするな……)
 霊符の説明を聞けば聞くほどに奇妙な感覚に囚われる。
 霊符、十二天将。どれも初めて聞くはずだし、これまでにそんなものを使ったことはない。そもそも、生まれてからの十五年、霊力だの邪だのとは無縁の生活を送ってきたのだ。
 覚醒が決定的になった数日前まで、祖父は隠人のことを何一つ語らなかったし、望に会うまで鎮守隊に関わることもなかった。知っているはずがない。
 なのに、記憶のどこかに引っかかる。
 目の前の霊符を眺めていると、霊符のほうから使い方を語りかけてくるような気がする。
 そう、ずっと昔……。息をするように扱っていたような――。

(聴こえる……)

 じわりと脳裏に霊符のイメージが伝わってくる。
 十二種類だろうが、マスターするのに一週間もいらない。二日もあれば十分だ――。

「これから実際に使ってみるから、よく見ててね?」
「お、おう……」
 不意にかけられた声に、イメージが霧散した。

(これって、先輩と同じ現象なのかもな……)
 幼い頃から誰にも習うことなく霊符を扱い、霊風を呼んでいたという望。
 皆が不思議がっているようだが、一真には望が習わずに霊力を扱えることを特異だとは思えない。
 知っているような気がすることを、思うままにやってみたら実践できてしまった――、それが一番近いのではないだろうか。ただ、それを思い出したのが、望は物心つくまでの間で、一真は今だというだけの違いで――。
 ただし、その記憶がどこから来たのかはわからない。
(……前世とか?)
 優音が言っていた共鳴。
そして、望とよく似た霊紋。
 前世とやらが本当にあるのかどうかはともかく、この感覚の元になるモノがあるはずだ。

 リッ

 一真は顔を上げた。
(なんだ!?)
 窓から吹いてくる風に濁った粒と暗い匂いが混じっている。
 風が吹いてくるのは学園がある方向――。
 額に手をやり、感覚を澄ます。その傍に覚えのある水の霊気がいる。
(あいつ、帰りに制服受け取りに行くって言ってたよな!?)  今は光咲と詩織も講習を受けている時刻だ。
 さっき制服を受け取り損ねた若菜が一人で学園に向かっていてもおかしくない。
 嫌な予感に一真はがたりと立ち上がった。

「斎木君?どうかしたの?」
 彰二は匂いを感じていないのか、驚いたような顔で動きを止めている。
「悪い、ちょっと休憩させてくれ!すぐ戻ってくる!!」
「え、ええ!?ちょ、ちょっと!?なんで霊符持ったまま休憩!?トイレなら、霊符は置いて行ったほうがいいんじゃ……」

 我に返った彰二が呼び止めた時には、一真は走り去っていた。