春暁の前に

13話



「あ〜〜!もうっ!!悔しい!悔しいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 畳を拳でどつき、若菜は足をバタバタさせた。
「わ、若菜?怪我人の前で、そのノリはやめようぜ?な?」
「だ、だってええええええ!!」
 言っても無駄なようだ。
 一真は布団の上で上半身を起こしている光咲を窺った。
「……外に出たほうがいいか?」
「ううん、大丈夫。邪はもう抜けてるし、怪我だって大したことないんだもん。賑やかなほうがいいよ」

 鎮守隊の屯所から更に奥――、ひっそりと佇む治療所の一室。
 松本医院にも隠人専用の病棟があるが、あちらは重症者や一般人用になっていて、隊員や現衆が軽症の場合はここで手当てするらしい。
 治療所というだけあり、光咲が泊まることになった一室は澄んだ空気に小鳥の囀る声が時折聞こえ――、長閑な空気が流れていた。
 若菜が入ってくるまでは。

 姉から許可が出たのをいいことに、若菜は再び足をばたつかせてむくれ始めた。こういうところは本当に小さな頃から変わっていないと思う。
「邪が回る、かぁ……。なんだか、邪って本当に蛇みたいだよね。マムシとか、そっち系の毒蛇みたいな感じ?」
「猿だけどな、見た感じ」
 光咲は手の平に貼られた大きな絆創膏を眺め、ごそごそとお守りを取り出した。詩織が持っていたモノと同じものだが、色は仄かな黄だ。
「昨日ね、この中に込めた私の霊気が邪を祓ってくれたんだって。なんか、私でも術みたいなのが使えるんだって思うと、嬉しいな」
「さっそく役に立ったな」
「うん」
 障子に影が映った。

「入るね、お兄ちゃん」
「おう。ちょっと待ってくれ」
 障子を開けてやると、お盆を手にした詩織が入ってきた。
 お盆には大きなおにぎりと椀が四つ乗っている。
「わぁ、いい匂い。それ、どうしたの?」
「お昼ご飯。先生が皆に、って。今日の講習、ここでやってくれるって言ってたよ」
「そうなんだ。後で先生にお礼言っとかなくちゃ」
「お兄ちゃんは、食べたらトレーニング室に来て、って」
「りょーかい」
 光咲と一真の横に盆を置き、詩織は若菜の傍にちょこんと座った。
「若菜ちゃん、廊下の向こうまで声が聞こえてたけど、大丈夫?」
「聞いてよ!大丈夫じゃないよおおおおおお!」

 ――始まった……
 一真と光咲は無言でお盆に手を伸ばした。
 椀の蓋を取ると、味噌の香りがふんわりと広がった。

「あたしね、霊力のコントロールが苦手なんだ!でも、なんとか追いつこうと思って……、が、頑張ったんだよ!?」
「うん……」

 味噌汁を啜り、光咲はほうっと息をついた。
「おいしいね、一真君」
「ああ、結構、ダシ効いてるな。バアちゃんが作ってたの思い出すぜ」
「覚えてる!あのお味噌汁、おいしかったよね!」
「バアちゃん、ダシに煩かったんだよな。大坂出身だから味付けとか、光咲の母さんとちょっと違ってただろ?」
「あ〜〜!そうかも!そういえば、一真君の家、たこ焼き器あったよね!」
「おお、そーいえば、ジイちゃんが出張してた時、バアちゃん主催でたこ焼きパーティーしたよな!あのたこ焼き器、どこ行ったっけな……」
「え〜〜、なくしちゃったの?」
「今度探してみっかな……」

 二人が懐かしい思い出話をしている間も、若菜の号泣は続いていた。
「朝は一番早く起きて練習して、夜も一人で残って練習して……!それでも上手くいかないから、あたしだけ一日、合宿伸ばしてもらって、今朝まで補習受けてて……!それで、ちょっとは格好ついたと思ったのに……!」
 若菜は鼻を啜った。
 詩織は無言でポケットティッシュを差し出した。チーンと鼻を噛み、再び続く。
「組長、ヒドイってばあああああ!!どうして速攻でわかるのおおおおおおっ!?あたしの一ヶ月近い苦労を一目で見破るってヒドイすぎじゃん!?優しそうな人って思ってたのに!問答無用でバッサリ斬り捨てたんだよおおおおお!?」
「大丈夫だよ。若菜ちゃんが嫌いなわけじゃないよ、きっと」
 「よしよし」とばかりに詩織が頭を撫でた。
「それはわかってるのおおおおおおおお!で、でもさ、せめて、もうちょっと気づかないふりしてくれてもいいじゃんよ!付き合い悪すぎだってばああああああああ!」
「無茶言うなよ、若菜……。先輩、忙しいんだからさ……」
 思わず突っ込むと、若菜がキィっと顔を上げた。
「カズ兄は黙っててよ!組長に気に入られちゃってるくせに!」
「そうか?あの人、誰にでもあんな感じだろ?」
「なに言ってんのさ!組長は武蔵国現衆だけじゃなくて、全国の現衆でも最強の鎮守役って言われてんだよ!?同じ鎮守役でも憧れてる人いるんだから!そ、そんな凄い人が、笑顔で『弟子入りしてくれるの、楽しみにしてるんだから』!?ムキーーー!ふざっけんな!あたしだって言われてみたいーーー!!」
 どうやら嫉妬されているらしい。
 微妙な気分で一真はおにぎりを一口齧った。
(……なんで、男を巡って女から嫉妬されなきゃいけねェんだ……?)  ただ、なんとなく若菜が言うのもわからなくはなかった。
 生活破綻者という一面を知らなければ、望は圧倒的な強さを誇る超人だ。入隊希望者の若菜からすれば、望から推薦された一真は「ズルい」ということになるのだろう。あの強さならば全国レベルをぶっちぎっていても納得だ。

「スゲェ有名人だったんだな、あの人……。めちゃくちゃ強いとは思ってたけどさ……」
「そんなにスゴイの?」
 望が戦っているところを見たことがない光咲には今一つピンと来ないのだろう。無理もないことだが。
「ん〜〜、単純な殴り合いでも勝てる気しねーな……」
 怪我をして弱った状態であれだけ強かったのだ。本調子の時にフルパワーでこられたら、今の一真でも厳しいだろう。
「え?一真君が?先輩、あんなに大人しそうなのに??」
「戦いになったらスゲエんだ。最強って言われんのもわかるかもな……」
 しみじみと言うと、光咲が目を丸くした。
「そんな人に弟子入りしちゃって大丈夫?」
「大丈夫だって!どうせ弟子入りするんなら、強いヤツのほうがいいからな!最強の鎮守役が師匠なんて燃えるだろ?そのうち超えてやるけどさ!」
「あはは、一真君らしいなあ」

 ほのぼのとしている二人の横で、若菜は相変わらず詩織に泣きついていた。
「うあああああああああああん、詩織ちゃんーーーーーーーー!このままコントロールできなかったらどうしよおおおおお!!あたし、鎮守役目指してるのにいいいいいいいっ!ノーコンの鎮守役なんてかっこ悪いよおおおおおおおおおおおおおおおっ」

(鎮守役目指してたのか、若菜……)
 どうりで、入隊を焦っていると思った。若菜の性格ならば、補佐よりも鎮守役のほうが向いているだろうが。
(でも、あの壬生先輩でも鎮守役にはなれないって言ってたからな……)
 補佐と鎮守役の境目がきっとあるはずだ。
 家に帰ったら祖父にでも聞いてみよう。

「若菜ちゃんなら、きっとできるよ」
 詩織はおにぎりを手に取った。
「はい、おにぎり食べて元気出して」
「ありがと……」
 若菜はおにぎりにかじりついた。
「おいしい……。鮭入ってるね……」
「うん。若菜ちゃん、鮭大好きだよね」
 もこもことおにぎりを平らげ、若菜はグッと拳を握りしめた。
「あたし……、絶対!鎮守役になるんだ……!見てて、詩織ちゃん!」
「頑張れ、若菜ちゃん!」
 詩織はパチパチと拍手をしながらにっこりと笑った。
「実はね、詩織も修業始めたんだ。一緒に頑張ろうよ」
「うん!二人で頑張ろうね!!」
 ようやく収まったようだ。
 昔から、若菜が荒れると詩織が宥めるのが、ある種の風物詩のようだった。この調子だと、もう暫くの間、この風物詩を拝めるだろう。

「詩織は若菜の扱いを心得てるよな……」
「食べ物渡すタイミングが、未だにわからないんだよね……。一真君達が大坂行っちゃってた四年間は宥める人いなくて大変だったなあ」
 当時を思い出したのか、おにぎりを手に、光咲は遠い目をした。