春暁の前に

12話



 開けた窓から温かい春の風が入ってくる。
 吹き抜ける春の風も、どんよりとした部屋の空気を流してはくれなかった。
 障子が開き、空色のパーカーが風と共に入ってきた。

「先輩!光咲は!?」
 思わず立ち上がりかけた一真を、望は軽く手で制した。
「大丈夫。
少し傷口が邪気に当たっただけ。邪は回っていませんよ」
 穏やかな声にそれまでの緊張が溶けていく。
「そっか……」
 長く息をついて肩の力を抜くと、横では詩織と若菜も同じようにヘタ〜〜と息をつき、手を取り合った。
「よかったね、若菜ちゃん……」
「ホント、よかったよおぉ……」
 二人の様子を微笑ましそうに眺め、望は障子を閉めて座った。
「少し霊気が不安定だから、今日は神社に泊まってもらうことにします。お家にはこちらから連絡を入れておきますよ」
「やっぱ邪気が入ったせいなのか?」
「どちらかというと、邪霊を掴んだことで霊体が軽い興奮状態に陥っているのが原因でしょうね。普通なら日帰りしてもらうところですけど、北嶺さんは覚醒したばかりなので今夜は大事をとってもらうだけです。心配いりません」
 神社に到着してすぐ、一真の霊気が駆け込んできたのを感知した望と優音が飛び出してきて、すぐに光咲の治療を始めてくれた。ちょうど会合がひと段落ついて昼食に入ったところだったらしい。
 あれから三十分ほど。昼番は昼の巡察に出かけ、夜番は解散し、それぞれに待機しているという。尚、全員参加で決定しなければならなかった議題は「新学期から少人数でいかに効率よくローテーションを行うか」という切実な内容だったらしい。

「襲ってきた邪は、猿の姿をしていたって聞いたけれど……」
 望と会うのは、鏡面との戦いから一夜明けた松本医院以来だ。
 昨日はよく眠れたのか、はたまた、ちゃんと食事を摂ったのか、あの時よりもかなり顔色がいい。よっぽどの強敵が現れない限り、あと一週間は大丈夫そうだ。
「見た感じは黒い猿みてーだったんだけど……。顔に目玉が一個ついてるだけで、変な声出してたっけな……」
「鬼の手前くらいか……。そこまで成長してるってことは、一昨日、見失った奴かもしれないな……。襲われたのは学園の前ですよね?」
「ああ、学園のバス停のとこ」
 望は取り出したメモ用紙にサラサラと何事か書き込み始めた。
「先輩、鬼ってのは?」
「……ちょっと待ってくださいね」
 立ち上がり、望は呪を唱えながら窓に向けてメモ用紙を翳した。メモ用紙がムクリと起き上がり、鳥の姿に変わっていく。
「鬼っていうのはね、カズ兄……」
 望が忙しそうなので、若菜が代わりに説明を始めた。
「邪霊が人間や隠人から霊力を奪って人の姿を取ったやつだよ。怪異を引き起こすくらい力をつけた邪霊を鬼っていうの。猿の形をしてたってことは、かなり人に近づいてるってことなんだよね」
「へェ、いろんな種類がいるんだな……」
「若菜ちゃん、詳しい〜〜!」
「えへへ、まあね〜〜」
 小さな羽音と共に望の手から白い燕が飛び去った。
「解説、有難うございます」
 にっこりと微笑み、望は座り直した。
「もしかして、北嶺若菜さん?北嶺光咲さんの妹さんですよね?」
「は、はい!西組の合同合宿に参加していました、北嶺若菜です!」
 若菜はシャキンと立ち上がり、ピンッと背筋を伸ばした。体育会系の部活で、入部してすぐの一年生が部長に挨拶する時に似ているかもしれない。
「あ、立たなくてもいいですよ。
僕、堅苦しい空気とか苦手だから、楽にしててください」
 慣れているのか、望はおっとりと座るように促した。
「今回、町内からの参加は若菜さん一人でしたね。初対面の人ばかりで疲れたでしょう?無事に終了できましたか?」
「け、今朝、終了しました!」
「そう。お疲れさま。ところで、お姉さんにお守りを握るように指示したのは君?」
「は、はい、そうです……!」
「的確な応急処置で助かりましたよ。習っていても、なかなか咄嗟に思いつかないものです」
「あ、あ、あの、ありがとうございます……!!」
 小さな顔が耳までボッと赤くなった。
(若菜……?)
 こんなに緊張してどもっている若菜を見るのは初めてだ。
 若菜は光咲と正反対の性格をしていて、とにかく勝ち気だ。相手が上級生だろうとズケズケと物を言い、男だろうと喧嘩を売るような奴だったと記憶しているのだが。
(四年も経ったら変わるもんなんだな……)
 一真への態度は変わっていないどころか、よりでかくなった気がするが。
「あ、あの!組長!」
 意を決したように若菜が身を乗り出した。
「あたしを鎮守隊に参加させてください!使える霊符は八種。霊符を補充したら、すぐに巡察に出られます!」
「有難うございます。社務所で書類を用意しますから、帰りに受け取ってください。今日はゆっくり休んでくださいね」
「今日から参加したいんです!組長の許可を頂けたら、一時間以内にお母さんから許可もらってきます!お願いします!!」
 琥珀の瞳が柔和に笑った。
「そんな無茶しなくてもいいですよ。補佐も十分危険な立場です。参加の希望は有難いですけど、ご両親とゆっくり話し合って決めてください」
 バンッと両手で畳を叩き、若菜は語気を強めた。
「組長!!襲われたのは、あたしの姉ちゃんなんですよ!?あたしが仇を討たなくてどうするんです!?」
「落ちつけ、若菜。光咲が死んだような言い方はよせ」
「カズ兄は黙っててよ!あたしは組長と話してんだから!!」
 セピアの瞳がキッと睨んだ。
 こいつと光咲は本当に姉妹なのだろうかと疑う一瞬である。
「はあ……。こないだの一真君と似てるなあ……。隊員殴り倒さないだけいいけど……」
「う……」
「なにそれ!?カズ兄、そんなことしたの!?」
「あ〜〜、これには事情があってだな……」
 隊員を殴り倒したとはいっても、詩織を探す邪魔をしたので、彰二を黙らせただけなのだが。隊員不足の鎮守隊にとっては、一人の補佐が数時間ほど戦線を離れただけでも相当な痛手なのかもしれない。

「とにかく、許可できません」
「どうしてです!?補佐と戦うのが西組の入隊試験だっていうんなら、今ここで戦います!負けませんから!」
 ポケットから霊符を取り出して立ち上がった若菜に一真は自分も立ち上がる準備をした。熱くなった若菜は危険だ。見境を失くし、望相手に拳で語り出すのだけは止めたい。兄貴分として。
 対して、望は困ったように頬を掻いた。
「あ〜〜えっと……、そういう過激な入隊試験はしてないんで……。その霊符、しまってください」
「だったら、どうしてです!?」
「知りたいですか?」
 琥珀の瞳がヒタリと若菜を見つめた。
 それだけで若菜は息を呑んで次の言葉を引っ込めた。
(スゲエぜ、先輩……)
 あのヒートアップする若菜を視線だけで黙らせるとは。さすが、たった一人で町内を守ってきた鎮守様である。先ほどまでと、部屋の空気までもが一変した。
「君の霊力が荒れているからですよ。お姉さんが襲われて動揺してるせいだと思ったんだけど……。こうして話してる間にも常に上下しているってことは、霊力をコントロールできていないばかりか、肉体も引っ張られている……、違いますか?」
「え……」
 若菜がギクリとしたように顔を引きつらせた。
「そうなのか?若菜……」
 慌てて感覚を霊体に切り替え、妹分の霊気を探る。
(なんだ、こりゃ……?)
 若菜を包む蒼い光が信号機のような点滅を繰り返している。時折、急に強くなって吹き出したり、ピタリとなくなったりと、忙しない。白い光が全身をうっすらとカーテンのように包んでいる詩織や、真っ赤な火が立ち上っている望とは明らかに違う。
「……霊符を扱うくらいできるもん……!カズ兄だって見たでしょ!?」
 若菜は真っ赤になって呟いた。
「それは見たけど……」
 だが、あの霊気の状態は望が言うようにおかしい。どうフォローしたものかと悩んでいると、望が口を開いた。
「う〜〜ん……、残念だけど、君が思ってるよりも深刻だと思うなあ……」
 前触れもなく、望の体を赤が縁取った。
 うっすらとした赤い光が部屋の中を照らした。
「うぐっ……」
 若菜が口を押えて蹲った。
「若菜ちゃん!ど、どうしたの!?」
 成り行きを見守っていた詩織が、慌てて若菜の背中をさする。
「な、何やったんだよ、先輩!?」
「別に……。僕の霊気に触れただけです。一真君と詩織さんも同じように触れてるけど、何ともないでしょう?」
「え?どういうこと……?」
 詩織は訳がわからず、頭の上に「?」を浮かべ、困ったように一真と望を見比べた。
「それ、霊気を表に出してるだけだよな?そんなんで何かなるもんなのか?」

 霊力は霊体に宿っている。通常は霊体を包む肉体に阻まれていて、表に出てこない。
表に出ているとしても、術を発動させるほどの霊力の放出は無理だ。
 覚醒した隠人が霊力を使用できるのは、霊紋を介して霊体から霊力を送り出すことができるからなのだと祖父が言っていた。その為、霊紋とは「霊力の門」という意味もあるのだという。
 望が今やっているのは、肉体に宿った霊気を表面に出しているだけ。それも、僅かな霊力のみで、何の術も仕掛けていない。

「普通は何ともありませんよ。でも、霊力のコントロールが不十分で荒れていると、周りの霊気に反応して振り回されてしまうんです。今の若菜さんのようにね」
 望は光を収め、いつもの温和な笑みを浮かべた。
「若菜さんの霊格は丙の垓に至っているようですね。それだけ高ければ、コントロールも難しくなります。無理せず、修業を続けてください。入隊はそれからです」
 若菜は悔しそうに唇を噛みしめたが、小さく頷いた。

「あのさ、先輩……」

「許可しませんから」
 笑顔の裏に有無を言わさない迫力があった。
「う……、よくわかったな……。まだ何にも言ってねェのに……」
「さっきから霊気が訴えてるもの。言っておきますけど、鏡面の件は特例中の特例ですからね。保護者の許可がない人を巡察に加えるわけにいきません」
 窓から入ってきた白い雀が望の手の平で一枚の紙切れに姿を変えた。
一瞥し、望は立ち上がった。
「今日も沖野君に来てもらいますから、時間が来たらトレーニング室に行ってください。邪は、僕が鎮めておきます。今は余計なことは考えないで修業に集中してください」
「それはわかってんだけどさ……」
「早く補佐の修業を終えて匠の許可をもらってくださいよ。弟子入りしてくれるの、楽しみにしてるんだから」
 本当に楽しみなのだろう。いつもより弾んだ声で言い残し、望は部屋を出て行った。