春暁の前に

9話



「うわぁ、キレイ!」
「学校だよな……?」
 正面と左右にそれぞれ立つ老舗の高級ホテルのような校舎を眺め、一真と詩織はそれぞれに感想を漏らした。
 今日の午前中は鎮守隊の昼夜組全員参加の会合があるらしく、修業は午後からだ。
 帰りに予定していた制服の受け取りを午前中に回し、槻宮学園の正門をくぐった兄妹の第一声がそれだった。
「お兄ちゃん!あの窓がいっぱいの建物、体育館かなあ!?」
「たぶんな」
 開いた窓からボールの音と部員の声が漏れてくる。バスケ部だろうか。
「にしても、グラウンドも広いもんだな……。野球部専用のグラウンドみてーなのも、あっちにあるし……」
 光咲が横でキョトンとした。
「あれ?一真君達、来るの初めて?入試の時は?」
「オレ達は京都の本校のほうで受けたから、こっちには来てねーんだ」
 槻宮学園の本校は京都だ。試験内容が同じなので、浅城校の試験を本校で受けるのも可能だ。
 本校にも中等部があるが、詩織の件があったので、最初から浅城校での入学以外の選択肢はなかったが。
 ただ、今となっては、他に何か意味があったのではないかと思えて仕方がない。
「本校に行ったんだ!?どんな感じ!?」
「どんなって……机とか教室はキレイだったけど……、こっちとそんな変わらなかったんじゃねーかな……。グラウンドとかは、こっちのほうが大きいみてーだけど」
「そんなことないよぉ。お城みたいな綺麗なお庭に噴水があって、可愛い狐の像が立ってるんだよ〜〜!」
 詩織が目をキラキラさせた。
「へェ〜〜!いいな〜〜!」
 盛り上がる妹と幼馴染を横に、一真は芝生が覆う校庭を見渡した。
(オレはどっちかっていうと、学食のほうが気になったが……)
 入試帰りに、やたらと目についた白塗りの建物のショーケース。レストラン顔負けの数のサンプルのことはよく覚えている。チラッと見えた、大盛りのカツカレーとか、大きなチャーシューが乗ったラーメンとか、でかいエビフライとか……。
「こっちには狐さん、いないの?」
「う〜〜ん、入試の時には見かけなかったなあ……。あ、でも、奥の方に中庭があるって言ってたよ!そっちにいったらあるかも!」
「ホント!?」
 槻宮学園は理事長が白狐のお告げを受けて建てたとか聞いたことがある。
 校章がやたらとファンシーなのは、夢に出てきた白狐にかけて狐をモチーフにしているから、らしい。
(この学校、鎮守隊とも関係あるんだよな……)
 望によると、隠人の保護を行っているらしい。
 望、優音、彰二……、今のところ、関わった隊員は皆、槻宮学園の生徒だ。他の隊員も在籍していると考えたほうがいいだろう。
「っと、高等部はこっちか……。中等部と会場が違うんだな……」
 木製の洒落た看板が「高等部」「中等部」をそれぞれ別に示している。看板に貼られた『新入生の皆様へ』と題されたプリントには、それぞれの受け渡し会場が記されている。
 詩織がぴょこっと手を上げた。
「じゃあ、詩織は中等部に行って制服と教科書もらってくるね!」
「大丈夫か?オレ達と一緒に……」
 学園はとにかく広い。中等部は高等部に比べて校舎も小さいようだが、初めて着た場所だということは変わらない。
「ううん!大丈夫!中学生になったら、毎日来なきゃいけないもん!」
「そりゃそうだけど……」
 光咲がクイクイとジャケットの袖を引っ張った。「せっかく張り切ってるんだから、邪魔しちゃダメだよ」セピアの瞳が語った。
(……確かに、そーだな……)
 内気だからと、つい気にかけてしまうが、詩織はあれでしっかりした一面もちゃんとある。
 本人がああ言っているのだから、任せたほうがいいのかもしれない。
「わかった。迷ったら、そこらへんにいる先生に聞けよ?」
「もうっ!大丈夫だよ。お兄ちゃんったら心配しすぎ!」
「そ、そうか?」
「それじゃ、ここで待ち合わせようか?」
「うん!」
 パタパタと手を振り、詩織は洋館のような建物へと走っていった。


 二十分後――、
「……どうしよう……」
 制服が入った紙袋を抱え、詩織はきょろきょろと周りを見渡した。
 同じような通路ばかりで、白い迷路に迷い込んだみたいな気分だ。
 中等部の玄関から制服の受け渡し会場のホールまではすんなりと入れた。
 迷ったのはその後――、列を作ってホールから出る生徒達に押されるように、入ってきたのと別の出入り口から出てしまったのだ。
 一緒に外に出た生徒達は寮生だったらしく、連れだって校舎の奥へ行ってしまった。
すぐに気づけば何とかなったのだろうが、綺麗な装飾を施された階段や廊下に立ち止って見入っている間に、すっかり迷子になってしまったようだ。
(先生は……)
 誰か通らないかと期待するが、廊下は静まり返っていて、先生はおろか生徒もいない。
 春休みだからなのかもしれないし、よほど人が通らない場所に来てしまったのかもしれない。
(なんだか……、ヤダな……)
 ずっと続くひっそりとした廊下。
 誰もいない、照明が消えた教室。
 窓の外に広がる隔離されたような青空。
 だんだんと大きくなる不安は、少し前の夜を思い起こさせる。
 詩織は無意識に右腕に触れた。ブラウスの下で霊紋がぼうっと光った。
 数日前まで悩みの種だった模様が、今は兄や祖父、大坂にいる両親との繋がりのようで心強い。
 もっと早くに相談すればよかった。そうすれば――。
(窓、開けたりしなかったのかなぁ……)
 のっぺらぼうに襲われた時のことは、ほとんど覚えていない。
 窓が開いて、つるりとした仮面が目の前に迫って――、そこからの記憶はない。
 次の日に目を覚ました場所は自分の部屋ではなく病院で、光咲の母が傍にいた。
 驚いたのは、出張しているはずの祖父が何故か病院にいて、一緒に入ってきた兄は、それまで張りつめていたモノが途切れたようにベッド横の椅子に座り込んだ。
 皆が言うように、「ただ驚いて気絶しただけ」ならば、祖父が出張を止めて戻ってきたり、あの強い兄があんなに脱力するだろうか。
 ――本当に、詩織は気絶していただけなの?
 皆は、その話は終わったとばかりに話題を避けている。
 あんな不気味なお化けのことなんて、早く忘れてしまったほうがいい、と。
 だが、そんな皆の様子が日を追うごとに引っかかってくる。
(……ホントは違うんでしょ?)
 ここにいない兄に心の中で問いかける。
 気絶していただけだというのならば――、今も耳に残る不気味な女の人の声や、光咲の悲鳴、兄の叫び声は何なのだろう――? (詩織、あのお化けにとり憑かれたんだよね……?)
 自分の手の平を眺めてみる。
 傷一つない手には、肉を貫いた生々しい感触が残っている。
 きっと、あの夜、自分は――。
「ふわっ!?」
 急に廊下に現れた人影にぶつかり、詩織は紙袋を落としてしまった。
「ごめんなさい。大丈夫だった?」
 廊下に転がった学園のロゴ入りの紙袋を白い手が拾った。空色のブレザーの袖口から水晶の数珠が覗く。
(わあぁ、綺麗な人……)
 切れ長の瞳に、肩の下まで届く絹のような黒髪。すらりとした長身に空色の制服が映える。
 学園のパンフレットに載っていたモデルさんよりも、ずっと制服が似合っていて美人だ。
 少女は心配げに小首を傾げた。
「どこか痛い?」
「い、いえっ!なな、なんでもないですっっ!」
 ホケっと見とれていたことに気づき、詩織は両手をパタパタと振った。
「こっちこそ、ご、ごめんなさい!」
「ううん、私も考え事してたから。
ごめんなさいね?」
 紙袋を渡し、少女は笑った。
近寄りがたい冷たさが緩み、優しげな雰囲気が漂う。
(中等部の人かなあ……)
 落ち着いた佇まいのせいか、光咲よりも大人びて見えるくらいだ。
「新入生?」
「は、はいっ」
 コチコチに緊張して頷く。
「制服受け取りに来たのね。でも、どこへ行くつもりだったの?これ以上こっちに行っても、実習室しかないわよ?」
「え……!」
 少女はあたふたとする詩織を驚いたように眺めていたが、 何かに思い至ったようにポンと手を打った。
「もしかして、迷ってる?」
 コクッと頷くと、少女はクスクスと笑って玄関まで連れて行ってくれたのだった。


  「……遅い……。やっぱ一緒に行くんだったぜ……!」
 看板の前で、一真はイライラと中等部の校舎を見やった。
「校舎の中で迷ってんじゃねーだろな……」
「大丈夫だよ、中等部、混んでるのかもしれないし……」
 とは言いつつ、光咲もソワソワと校舎を窺っている。
「……あと十分経って来なかったら、行ってみよっか……?」
「ああ……」
 光咲はチラッと腕時計を見た。この場所に戻ってから、これで三回目だ。
「さっきから時計見てるけど、何かあるのか?」
「もうすぐバスが着くなあって……」
「学園の送迎バスか?別に乗らなくてもいいじゃん。この後、神社に行くんだし」
 浅城町は鉄道の最寄駅から離れている。
 そのため、学園が町の外から電車通学する生徒の為に独自に送迎バスを走らせている。大学生は通学してくる時刻が個人で違うので、朝と下校時以外にも一時間に何本か走っているらしい。
「そうじゃなくて、若菜が乗ってるかもしれないなあって……」
「そーいえば、あいつ、そろそろ戻ってくるって言ってたよな。今日なのか?」
 若菜が静岡の祖父母の家ではなく、隠人の研修合宿に参加していることを聞いたのは一昨日だ。
 講習自体は各隊の屯所で随時行っているが、西組はとにかく人手が足りない。
そこで、隠人の覚醒が中学生から大学生にかけての年齢に集中することに目をつけ、学校が長期の休暇に入る春、夏、冬に西組全体で合同合宿を開くらしい。
 若菜が参加したのは、一ヶ月ほどの長期合宿で、隠人用の初級講座だけでなく、希望者には補佐用の修業もさせてくれるらしい。
 最初から補佐になるつもりで修業しているところが物凄く若菜らしい。
 尚、大の親友の若菜が一足先に修業していると聞いた詩織は俄然やる気を出していた。影響されて、自分も補佐になりたいとか言い出さないか……、物凄く心配だ。
「たぶん。寄り道しなかったら、次のバスだと思うんだけど……。詩織ちゃんをビックリさせたいから黙っててって言ってたんだよね……」
  「若菜らしいな……」
「私、ちょっとバス停見てこようかな。
一真君、ここで待っててくれる?十分もかからないと思うんだ……」
「わかった。詩織が戻ってきたら、適当にごまかしとくな」
 小走りで正門へ向かう幼馴染を見送り、一真は看板に軽くもたれた。
(若菜もここの中等部に入るんだよな……)
 サプライズ好きだった勝ち気な少女を思い浮かべる。四年も経てば、いろいろと変わっているのだろうけれど。