春暁の前に

8話



「でね!耳を澄ましてると、土とか木とか水とかの声が聴こえたんだよ!なんだか妖精さんがお話してるみたいな綺麗な音だったなぁ」
 その日の夕食時、詩織は興奮気味に「修業の成果」を話し始めた。
「ほぉお、初日でそこまでできたか……。詩織は筋がいいのう」
「えへへ、先生にも褒めてもらったんだ〜〜!光咲お姉ちゃんも聴こえるんだって!明日はもっと沢山の声が聴こえるように、森のお散歩だって〜〜!」
 詩織は嬉しそうに小さなお守りを取り出した。
「このお守り、詩織の霊力が入ってるの!修業を続けて霊力が安定したら、中のお札がどんどん強くなって、詩織のこと守ってくれんだって!」
「そうかそうか、どうじゃ?続けられそうか?」
「うん!」
 上機嫌で詩織はロールキャベツを口に運んだ。
 光咲直伝だというロールキャベツは、少し不恰好だがよく味が染みていて美味しい。横で手伝いながら、少しハラハラして見ていたが杞憂だったようだ。
「おじいちゃん、詩織が作ったロールキャベツ、おいしい?」
「ああ、よく出来とる。バアさんにも食べさせてやりたかったわい」
「ちゃんとお供えしといたから、大丈夫!きっと食べてくれてるよ!」
「詩織は優しいのう。なあ、一真」
「え?」
 上の空で味噌汁の中の豆腐をつついていた一真は慌てた。
「どうしたの?お兄ちゃん……。
ロールキャベツ、おいしくない?」
 大きな瞳がジィっと見つめた。
「あ、悪い!んなことねーって!めちゃくちゃ美味いって!」
「どうかしたのか、一真?さっきからぼけっとしとるぞ?」
「え?そ、そうか?」
 ごまかすようにロールキャベツを口に運ぶ。口の中に温かい肉汁がジュワッと広がった。
「また料理上手くなったな、詩織。今度、オレにも教えてくれよ」
「うん!詩織に任せて!」
 妹の無邪気な笑顔が、沈んだ気持ちを少し浮上させてくれた。



「ここにおったか」
「ジイちゃん……」
 夕食の片づけを終え、客間でぼんやりとしていた一真は振り向いた。
「詩織は?」
「部屋じゃ。講習の宿題をやるそうじゃ」
 襖を閉め、伸真は向かいにどっかりと座った。
「伝令役から望君のことを聞いたのじゃろう?」
「なんでわかるんだよ……」
 いきなり核心をつかれて、不機嫌な声が出た。
「帰ってきてから、お前の霊気がいつになく不安定じゃからじゃ。その霊気の乱れ方は、自らの存在に悩んでおる者に特有のものじゃからの」
(鋭いな……)
 宗則が言うだけある。
案外、若い頃は隊員の面倒を見ていたのかもしれない。
「……ジイちゃんのことも聞いたぜ?鎮守役主座の候補だったんだって?」
「昔のことじゃ。
宗則にも困ったもんじゃのう。余計なことまで話しおって……」
 口調に親しみが滲む。
互いに兄弟のような感覚だったというのは本当なのだろう。

「……小さい頃から神通力使えて、化け物呼ばわりされて生きてきたんだってよ……。なんか、重たいよな……」
 「個人的な話」と断って宗則が語り始めたのは、望の事情だった。
「知っとるよ。よく神社の裏で独り、木刀を振っておった。剣道が好きなのかと訊いたら、『一日も早く鎮守役になりたい』などと言っておったかのう……」
「鎮守役に?」
「鎮守役ならば、力が強ければ強いほど有難がられる。自分を囲む奇異の目から逃れたかったのじゃろうな……」
「……んだよ、それ。
誰も庇ってやらなかったのかよ……?」
 友人や光咲達と毎日騒いでいた一真の幼少期。それに比べて、望が生きてきた道はあまりにもキツい。
 近い霊筋だからだろうか。
 話を聞いてから、自分のことのように気分が沈む。
 当時、祖父達は、望と年の近い一真に期待したらしい。自分達の霊筋が近いことから、一真もまた、望と近しい霊縁なのではないか、と。
 だが、一真は覚醒の兆もなく、望本人も他人との接触を嫌がり――、結局、会うことはなかったという。
「むろん、宗則もワシも周りの声など聞かんように言い聞かせた。だがのう、あの子にとっては息をするように風を呼べて、神通力を操れてしまうのじゃ。年を取るに従い、普通の隠人と自分が決定的に違っていることを感じてしまったのじゃろう。誰の言葉も届かんようになってしまってな……」
 一真は少し黙った。
 なんとなく、次の言葉が祖父に読まれているような気がした。
「……オレさ、霊風が使えんだ……」
「ああ、聞いた。
望君と風を撃ち合ったそうだな」
 冷静な祖父の声に頭が熱くなった。
「ホントに霊風って天狗しか使えねェのか?オレも先輩も、普通に使えんのに……!ホントにジイちゃん達は使えねェのかよ!?」

 『望のことをよろしく頼む。強情な子だが、君の言葉ならばあれも素直に聞くかもしれん。同じように高い霊格を持ち、風を纏う君の言葉なら……』

 宗則は切実な表情で、もう一度深く頭を下げた。ひどく居たたまれない気分で、一真も頭を下げた。何故か罪悪感がじわじわと湧いてきた。
 伸真は予想していたように頷いた。
「ああ、使えん……。ついでに言えば、天狗だから使えるとは限らん」
「え?」
「霊風は天狗の中でも高位に位置する戦闘衆『宵闇』の証でもある。つまり、」
 少し躊躇い、伸真は続けた。
「お前達は既に宵闇の域におるということじゃ。天狗道に入ることなしに、隠人の域に止まりながら、霊山の者と同等以上の力を持っている……。全国の現衆の歴史の中でも前代未聞なのじゃよ」
「それって……オレ達の体の中に化け物が封印されてるとか……?」
 落ち着いているつもりなのに声が硬くなった。
 霊格が高く、習わずとも神通力を操れるのは天狗の転生体の証なのだという。天狗は肉体が死滅しても魂は生き、完全な同一人物として前世の記憶と神通力を抱いたまま転生する。その場合は霊紋が開くと同時に前世の記憶が蘇り、自ら霊山に知らせるという。
 幼少時に覚醒した望は、その霊格と神通力から天狗の転生体を疑われた。だが、霊風すら操れるのに、肝心の前世の記憶を持っていなかった。
 ついには霊山で検査を受けた結果、望はあくまで隠人であり、天狗ではないことがわかった。
 それからは――、仲間の現衆からも化け物の依り代を疑われる日々だったという。
 部屋に笑い声が響いた。
「何を悩んでおるのかと思ったら、そんなことを気に病んでおったのか?小心者じゃのう!」
「な!?大問題じゃねーか!化け物なんて体の中に封印されてたら、この先、どーなっちまうんだよ!?」
 伸真はカラカラと笑い、膝を叩いた。
「安心せい。そんなものが封印されておったら、覚醒時に何らかの兆が現れておるわ。ただでさえ、この家は邪封じの結界が張られておる。邪気を帯びた者は、この家におるだけで消耗するんじゃ。結界のど真ん中で暢気にスナック菓子を食いながら寝転んで漫画読んどる時点で、その可能性はほぼないわ!」
「そ、そっか……」
「望君にしても、それは同じじゃ。葉守神社は、この町内で最も強い邪封じが張られておる。邪気を帯びた者があの神社に足を踏み入れるのは自滅行為じゃ。神社で普通に生活しておることが、あの子が化け物ではないという何よりの証拠じゃよ」
「そ、そうだよな……!なんだ、心配して損したぜ……!」
 胸を撫で下ろす。元鎮守役がああ言っているのだ。とりあえず、安心してもいいのだろう。
 祖父が鎮守役だったことが、こんなに頼もしいとは思わなかった。

「お前達に限ったことではないが、大切なのは邪に染まらぬことじゃ。魂に邪の侵入を許せば、どれだけ大人しい人間であっても鬼と化す。人として踏み止まる限り、力の評価など、己の心の持ちようでいくらでも変えられる」
「そーいうもんなのか?」
「むろんじゃ。望君を見てみい。少々無理が過ぎるが、隊員から信頼されているじゃろう?あの信頼こそが、あの子が必死に戦って築いてきたモノじゃ。ただな、何故、お前達が霊風を操れるのか、ワシらにはわからん。知る術があるとすれば、霊山じゃが……」
「霊山……」
 鎮守隊に関わるようになってから頻繁に聞く名だ。鎮守隊というより、現衆にとって重要な場所のようだが。
「……なあ、ジイちゃん。霊山って何なんだよ?鎮守隊と関わりあるのはわかるけど……」
 その先をどう言えばいいのかわからなかった。

 例えば、霊力の使い方を教えてくれた冶黒。
 人の体にカラスの頭を持つ彼は、霊山の烏天狗だと名乗った。
あの人外の姿で天狗を名乗っていても何の違和感もなく、一真はすんなりと聞き流した。
 だが、同じ日、望は言った。
 天狗とは、霊獣の血が強すぎて人の世で生きられなくなり、霊山に入った隠人。その容姿は人と変わらない、と。
 ならば、と一真は思う。
 天狗になった隠人は、最終的にどうなるのか?
 再び、人の世界に戻ってくることができるのか?
 それとも――、冶黒のように人外の姿になって二度と戻ってこないのか?

「ふむ……。ワシも霊山については多くを知っておるわけではないからのう……」
 伸真は顎に手をやった。
「簡単に言ってしまえば、隠人の域を超えた霊格……、戊の段階に達し、霊体が肉体に収まりきらなくなった者達が天狗としての道を歩む場所じゃ」
 戊の段階。鎮守隊の補佐が丙で、鎮守役はその一つ上の丁の段階だと言っていた。戊は更にその上の段階であり、それはもう人ではなく天狗の域――。

『人間の限界は丁なんだ。
それ以上は、体が耐えられないんだって』

 彰二は講師から友人の顔に戻り、「たぶん、斎木君は丁の垓……、もしかしたら、穣かもしれない……。戦う時は霊格を上げ過ぎないように気をつけてね」と結んだ。
「天狗としての道って?」
「詳しいことはワシにもわからん。ただ、人が死後に行くという六道から外れた、第七の道である天狗道。そちらを抜け、全くの同一人物として転生を繰り返すらしい。彼ら天狗が前世の記憶と容姿を持って転生するのも、その為じゃ」
「第七の……」
 ゴウッと耳の奥で風が唸り、視界が暗く染まった。

 ――懐かしい……

 風の音に混じって自分の声が聴こえた気がした。
「どうかしたか?」
「え?あ、なんでもねェって」
 目にいつもの景色が戻る。
風の音も止んでいた。
「じゃあ、霊山ならオレ達が霊風を使える理由を知ってるかもしれねーんだな?」
 霊山には一応、知り合いがいる。
 連絡の取り方もわからないが、この町に来ていたということは、この町に天狗が立ち寄るような場所があるはずだ。鎮守隊に入れば、何か手がかりがあるかもしれない。
「残念だが、この地区を管轄する信濃の霊山ではわからんじゃろうな」
「えーーー!?なんでだよ!?」
 いきなり希望が潰えた。霊山の知り合い・冶黒は信濃の烏天狗だったはずだ。
「既に問い合わせ済みじゃ。武蔵国現衆にとって、信濃の霊山は最大の後ろ盾じゃ。望君が覚醒した時、彼の霊筋を確かめようと動いてくれたのも信濃じゃった。その信濃が手を尽くしても、わからんかったんじゃ」
「げ〜〜、それじゃ、霊山に聞いてもわからねェんじゃん!」
「落ち着かんか。信濃でわからんかっただけじゃ。霊山は全国にいくつもある。信濃はその中の一つに過ぎん。そもそも関東は霊山が少ない上に、規模も小さいんじゃ」
「え?そーなのか?」
 霊山は一つだと思っていた。
「霊山の本場は京都。数も近畿を中心に関西に集中しておる。中でも宵闇の総本山とされる鞍馬には伝説級の霊筋の持ち主が集まっているという。そこでならば、お前達と同じ霊紋を持つ者がおるかもしれんが……」
「わかった!京都に行けばいいんだな!」
 京都ならば少し土地勘があるし、大坂には両親もいる。泊まるところもなんとかなるだろう。
 行き止まりに光が差した気がした。
「簡単に行けるわけがなかろう。霊山を束ねる大天狗様が座す、神聖な霊峰じゃぞ?霊山関係者でも招きがなければ入れん。魔境とまで称される強力な結界に守られておるんじゃからな」
「てことは、京都に行って通りすがりの天狗を脅して聞き出すしかねーってことか……。手強いな……」
「やめんか。天狗相手に恐喝事件を企てるでないわ」
「だって、隠人は入れてくれないんだろ?しょーがねーじゃん」
 口を尖らせると、伸真は「やれやれ」
と息を吐いた。
「犯罪行為に走らんでも、既に霊風の件は霊山にも届いておるはずじゃ。鎮守役となり、名を上げていけば霊山側から接触してくるじゃろう」
「だったらさ、推薦状の許可くれよ。そしたら解決じゃん」
「馬鹿者。話はまだ終わっておらんわ」
「んだよ、ほとんど終わってんじゃん」
「いいから最後まで聞け。よいか?鎮守役となったお前に霊山が接触してきた時――、それは恐らく、選択を迫られる時じゃ。天狗として生きるか、人に止まるか、のな……」
「オレが天狗……?なんで……」
「お前が鎮守役になるということは、そういうことじゃ。格が高い者は強い力を操れるが故に、大きなリスクを抱えておる。隠人の域から天狗の域へ至り、肉体が霊体にとってかわられるリスクをな」
「肉体が霊体に……?なんだよ、それ……」
「蝕といってな。霊体が強くなりすぎると肉体という器を喰らい始める。丁でも穣になると起こる可能性はあるが、戊の段階になるとほぼ確実に起こる。覚えておけ。お前も望君も、既に戊に至っている。いつ蝕が起きてもおかしくない。こうして話しておる今も、霊体が肉体を侵しておるかもしれんのじゃ」
「えっ!?」
 ゾッとして、体が強張った。意味もなく、右手の甲に触れる。
「お、脅さないでくれよ……」
「脅しとらん。事実を言ったまでじゃ」
 伸真は立ち上がった。
「補佐の修業を終了するまでに自分の道をよく考えなさい。前の道じゃ。どう進んでもよいが、後悔だけはせんようにな……」
「ジイちゃん?」
「鏡面の件は見事じゃった。だが、鎮守役となれば、身内以外の者を守らなければいかん。赤の他人の為に体を張れるのか……そこもよく考えるのじゃぞ?」
 静かになった客間で一真は悔しげに舌打ちした。

「……クソ、補佐の修業始めたのバレてるじゃねェか……」