春暁の前に

5話



 蒼い幕が消え、耳に外のざわめきが戻ってくる。
 二人の戦いで燃えていた廊下には焦げ跡一つない。
「いつの間に壊れたんだ??オレ、結界には何もしてねーんだけど……」
 結界が消え去ったのだとわかっても、全く達成感はなかった。
「風だよ。
さっき僕の霊符を巻き上げた風。あれが結界の天井をぶち抜いてたのさ」
「そーいえば、上にぶつけたっけな……」
 左右や足元に散らして発動しても面倒なので、とりあえず、天井に叩きつけた覚えがある。
 深い考えがあったわけではない。邪魔だったので遠くへ捨てただけだ。
「クリアしてたんなら言ってくれよ……」
「僕も気づいてなかったさ。風の光で結界の異変もわからなかった……」
 優音は少しずれていた眼鏡を直した。
「完敗だよ。修業もなしにここまでやるなんてね……。確かに、君に補佐は似合わない。鎮守役としての入隊が相当だな」
「へ、さっきと言ってること反対じゃねーか」
「気を悪くしたんなら謝るよ。
これも補佐頭の仕事でね」
「頭?じゃあ、アンタが補佐のリーダーか?」
 優音は眼鏡を取った。
「武蔵国現衆西組補佐頭・壬生優音。君を鎮守役候補として歓迎する。よろしく」
「ああ!よろしくな、先輩!!」
 差し出される手を握り返す。
「にしても、荒っぽい入隊テストやってんだな。アンタ、強すぎだって。鎮守役やれんじゃねーの?」
 優音は寂しそうに笑った。
「残念だけど、僕じゃ鎮守役は務まらないんだ」
「へ?あんな強いのに?」
 曖昧な笑みが「この件は突っ込まないでほしい」
と言っているような気がした。
 きっと、何か理由があるのだ。
「ちなみに、普段は入隊試験なんてやらないよ。言っただろ?最近、過労がピークの組長がまともな判断ができてないんじゃないかって。気の迷いで推薦状なんて書いたんなら、速めに叩き出したほうがお互いの為だ。組長が冷静に判断したとしても……」
 優音は眼鏡をかけた。
「やっぱり、テストしなくちゃいけなかっただろうね」
「……信用してねーんだな……」
 優音は「まさか。
その逆だよ」
と笑った。
「組長は戦闘力と自分との相性を重視するけど、僕達は自分達の指揮官としてやっていけるかを重視する。立場の違いだね」
(そっか……、鎮守役って、補佐にとっちゃ指揮官ってやつなんだよな……)
 隊内の上下関係が予想よりも厳しいのは、鏡面の時に知っていた。
 鎮守役になるということは、あの時の望と同じことを一真もこなさなければならないということだ。
「補佐にとって、巡察時の鎮守役の命令は絶対だ。何が起きるかわからない邪との戦いで、鎮守役と補佐の信頼関係は最重要でね。鎮守役に自分の命を預けるような事態だってあるんだ。どれだけ格が高い優秀な鎮守役でも、性格が悪くて信頼関係のカケラもない奴を信じて命を預けられると思うかい?」
「ムリだな……」
 例えば、鏡面との戦いで抑え役を買って出たのが望ではなく、先ほどまでの優音だとしたら――?
 あそこまで無防備に仮面を引き剥がすことに集中できなかっただろう。
 これから鎮守役になるということは、自分は補佐に信じてもらえなければならないということ。力だけでは駄目なのだ。
「信頼関係が築けないんじゃ、新たな鎮守役が入隊したところで意味がない。残念ながら、僕は君のことを全然知らなかった。隊員に紹介する前に、どうしても自分の眼で確かめる必要があったんだ」
 一真は頬をポリポリとかいた。
「……とりあえず、補佐頭に認めてもらえたってことでいいんだよな?」
「ああ、半分はね」
「半分?」
「補佐頭は二人いるんだ。僕は昼番担当の昼頭。夜番担当は夜頭っていうのがいる。彼がどう判断するのかはわからないけど……。あっちのほうが性格的には君に近いかもね」
「それじゃ、追試があるかもな」
 できれば今度こそ拳だけでパスしたいところだ。
 夜頭が優音と同等の実力だというならば、少々厳しいかもしれないが。
「その心配はない。テストはこれが最初で最後だろうね」
 意外な返事に驚く。
「なんでだよ?オレと性格近いんだろ?オレだったら、とりあえず、サシで実力確かめるぜ。って、そー考えたら、壬生先輩も結構過激だよな」
「まあ、僕も狼の霊筋だからね。他の霊筋の人に比べて好戦的なのは認めるよ。ただ、もう一人の補佐頭は狼の気性がもっと強くてね……。君も相当狼が強いみたいだから、危なすぎて殴り合いなんてさせられないよ。試験じゃなくて、ただの喧嘩になりかねない」
「へェ……、なんか気ィ合いそうだな」
「それはよかった」
 優音は数珠から一枚の書類を取り出した。
「鎮守隊補佐の入隊説明書?」
「時間がある時に目を通しておいて。入隊申請書は鎮守役の推薦状があれば必要ない。補佐修業の申込書だけ、帰りに社務所で受け取ってくれるかい?話を通しておくよ」
「それじゃ……!」
 優音は晴れやかな笑みを浮かべた。
「約束だからね。さっそく補佐用の修業を手配しよう。今日は夕方までの修業になるけれど、問題ないかい?」
「おう!今日は一日修業するつもりで来たからな!夜まででもいけるぜ!」
「残念ながら、補佐も少なくてね。夜は邪の出没が多いから、人数を集中させなくちゃいけない関係上、昼間しか講師をつけられないんだ。夜は自習してもらうことになる」
「そこはわかってるって。修業メニューみたいなのくれたら自主トレでなんとかするからさ!」
「助かるよ。とりあえず、補佐用のトレーニング室へ移動しよう」
 並んで歩きながら、優音はブレスレットから手帳を取り出した。
「……非番ですぐに動けそうな人は……」
講師役の隊員を選んでいるのだろう。
「一つ、聞いておきたいな。君はどうして推薦を受けようと思ったんだい?この間の鏡面との戦いに参加したんなら、鎮守役がどれだけ危険な立場かわかっているだろ?組長に妹さんを助けてもらった恩返しかい?」
「……それもあるけどさ……」
 一真は少し考えた。
 詩織の件で望に大きな借りができたのは確かだ。
 しかし、鎮守役に参加したいと思ったのは、鏡面の件が起きるよりも前だ。
(橋で見かけた城田先輩が死んだと思ったから……?いや、違うか……)
 ――自分も戦わなければ。
 望が訪ねてきた頃から、そんな思いが漠然と生まれたのは確かだ。
 鏡面との戦い以来、それは明確な言霊となって一真の中に根付くようになってしまった。
「よくわからねェけど……、やらなくちゃいけない気がするんだよな……。城田先輩に会ってからずっと……。早く強くなって戦わねェとって……」
 優音は手帳を閉じて笑い始めた。
「んだよ?」
「いや、失礼。真剣に考え込んでたから、何か凄い理由でもあるのかと思ったんでね」
「しょーがねーじゃん……。ホントにそうなんだから……」
「ああ、そうだろうね」
 訳知り顔で優音は頷いた。
「それはたぶん、『共鳴』だよ。霊筋は血縁とは違う部分で繋がってるんだ。血ではなく霊的な領域でね。霊獣は命を落としても魂は死なないで自分に近い霊筋の元に転生してくるっていうからね。前世の霊筋、時には縁を引き継いで……。そういう場合、前世で繋がりのあった相手と出会うと共鳴して、急に覚醒したり、強い仲間意識が生まれるらしいよ」
「ま、待ってくれよ。それじゃ、オレの前世は狼の霊獣ってことか!?」
 優音は「あくまで伝承だよ」と、また笑った。
「伝承の真偽は確認しようもないけれど、現衆の仲間内でも『共鳴』っていう現象があるのは事実だよ。先代の主座もそうだったらしいしね。君の覚醒は急なもので、組長に会ってからだっていうから、可能性は高いだろうね。霊風といい、その高い霊格といい、君と組長の前世が霊獣で、共鳴を起こしてるって考えれば、納得がいく」
「それは……、あるかもしれねェけど……」
 色を失った右の甲の紋に無意識に触れていた。ダンダラ模様を縁取ったような紋は痣のように墨色になって甲に浮かび続けている。
 これと似た紋が望にもあるのだ。そういう縁があっても不思議はない。
「共鳴が原因なら頭で考えるだけ無駄だ。全てが魂の内で決められたこと――、無意識下での決定なんだから、考えたところでわかるはずがない。さっき、君が言ったように『なんとなく、そんな気がする』程度なのに、強い意志になって心の中に居座るんだ。まあ、僕としては、そっちのほうが有難いけれど」
「そーなのか?」
 意外な反応に眉を顰める。
 てっきり「もっと、しっかりした理由を見つけて来てくれるかい?」くらいは言われると思ったのだが。
「ああ。霊筋が近い人同士は友人よりも家族のような感覚に近いんだ。そういう人が鎮守役になってくれたら、僕達じゃ意見しづらいことも言いやすいだろうからね」
「壬生先輩が意見できねェことなんてあんの?」
 優音は遠い目をした。
「ほとんどのことは僕達の意見を尊重してくれるけれど……、本人の体力面とか、健康面とか、生活面とかはねぇ……」
「……やっぱ補佐も心配してんのか、あの人のスタミナ……」
「鎮守役の補充も含めて、西組一番の課題だよ。普通の隠人があの人の真似なんてしたら、三日で倒れる……」
 不意に望が一度も顔を出していないことに気づいた。神社に来ればいると思っていたのだが。
「そういえば、城田先輩は?あの人の推薦だし、挨拶しときたいんだけど……。推薦状は……、ジイちゃんがまだ許可くれてねーから持ってこれなかったけど……」
「最初は反対されるもんさ。僕も反対されたけど、説得を続ければ最後にはわかってくれたよ。鎮守役は修業でも保護者の許可が必要だけど、補佐の修業は本人の意志だけで受けられるから、そこは問題ないよ。組長なんだけど……」
 優音は腕時計を難しい顔で眺めた。
「あ、巡察中とかなら、今度、タイミング合った時で……」
「神社にいるけれど会わせられないな……。三日ぶりに休憩できる時間ができて、仮眠中でね……」
「三日あああ!?」
 一真は思わず声を上げた。
「まさか、鏡面と戦った後、休みなしとか、言わねェよな……?」
「そのまさかさ。ちなみに、あの人の場合、休みなしっていうのは、本当に休みなしだ。休憩しないし、睡眠もとらない。二十四時間、フル稼働さ。時々、神社に戻ってシャワーだけ浴びてるみたいだけど」
「か〜〜!何やってんだよ、あの人……」
「だろ?その三日間も、ミネラルウォーターと飴玉だけで動いてたらしいよ」
「はぁ!?あんな重傷で、飴と水だけで動いてたあ!?」
 軽傷だった一真でさえ、あの日はかなり堪えていた。
 先に家に戻り、詩織がショックを受けないように荒れた家の中を片づけて鏡面の痕跡を隠し――、夕方に詩織が祖父と共に家に帰ってきたところまでは覚えているが、そこから先の記憶はない。
 気づいたら次の日の朝だった。伸真によると、出迎えて数分後には大の字になって爆睡していたらしい。
 それを、あの重傷で三日も不眠不休で戦っていた――!?
「本人は病院で栄養剤の点滴してもらったから大丈夫、なんて寝ぼけたこと言っていたけどね……」
「ヤバすぎじゃねーか……。止められねーの?」
「ああ見えて強情なんだ。本人もわかってるんだけど、邪が次々に出てくる現状じゃ、しょうがないんだよね……。せめて、一日一回、飴玉以外のまともな固形物食べてほしいんだけど、休憩時間になっても戻ってこないし……」
「固形物って……、飯食わないで動けるもんなのか……?」
 予想を軽く超えた鎮守様の私生活に一真は頭痛を覚えた。
「腹減ったら動けなくなるんじゃね?」
「邪気を感じたら空腹も眠気も忘れて飛んで行っちゃうんだよ……。組長も狼の霊筋だから、ああ見えて戦うのが好きなんだよね……」
「邪気で腹減ってるの忘れるって……何かを超越してんな……」
 優音は肩をガシッと掴んだ。
「期待してるよ、斎木君。組長が入院する前に、なんとか補佐の修業を終えて弟子入りしてほしい。巡察にくっついて行って、時間が来たら横から食べ物渡してくれるだけでも、かなり違うはずなんだ。組長が目の下にクマ作ってフラついてきたら、隙を見て睡眠薬盛って当身食らわしてでも眠らせて。動きを止めてくれたら、後は僕達がフォローする。それまでに君が半人前程度になっててくれると有難いけど、贅沢は言わないよ」
「そ、そこまでか……」
 優音は先ほどの手帳を捲った。
「……僕の見立てだと、あと三週間ほどで倒れる……」
「さ、三週間!?えらく切羽詰ってねェか!?」
 せめて四週間はもつと思っていた一真は目を見張った。
「ああ、今のままで組長が動いた場合のシュミレーションだから、もっと短いかもしれないし、伸びるかもしれないから、目安程度に思ってて」
「短くなるかもしれねーのかよ、それ……」
「今は春休みだけど、学校が始まるからね。学校での生活って体力使うんだよね……。
槻宮学園は事情を知ってるんだから、適当にすればいいのにさ……。あの人、変なところで真面目だからサボったりしないし……」
「ぐ、学校か……!」
 恐ろしいシュミレーション結果に一真は戦慄した。
 傍で支えている補佐頭、それも計算関係が得意そうな優音のシュミレーションである。信憑性は限りなく高い。
「わかった!さっそく修業させてくれ!とりあえず、あの人に弟子入りして、飯食わせればいいんだな!?」
「心強いよ、斎木君!!まずは一日一回、おにぎり一つでも食べさせたら第一難関を突破だ!」
「任せてくれ!生活破綻者の扱いはジイちゃんで慣れてんだ!!生活改善させてやるぜ!」
「素晴らしい……!」
 邪との戦いと関係ないところで意気投合した二人は、熱く握手を交わした。
「ちょうど、講師に適任の補佐が近くに来てて……」
 ふと、優音は一真の後ろを見やった。
 紫色の袴に烏帽子を被った初老の男が廊下に佇んでいた。
「少し、いいかね?」
「もちろんです、伝令役」
 控えめに立っている神主と急に改まった優音。
力関係は明らかだ。
(……鎮守隊の関係者……だよな?)
 一真は二人を見比べ、小声で囁いた。
「誰スか?」
「葉守神社宮司にして西組伝令役・城田宗則様……」
 宗則は人の好い笑みを浮かべた。
「斎木一真君だね?孫から話は聞いているよ」
「え……?孫?城田って……」
 混乱する一真に優音がボソッと呟いた。
「組長のおじい様だよ」
「え……………………?」

 数秒後、一真の素っ頓狂な声が屋敷に響いた。