春暁の前に

4話



“十二天が一、玄武!”

 飛来する一枚の符が蒼く光った。
(初めて見る色だな……)
 冶黒にもらった回復用の霊符も青く光っていたが、あれよりも沈んだ暗い青だ。
 一真は床を蹴った。
「何かやらかす前に蹴散らしてやるぜ!」

 チッ

 拳が碧に光り、蒼い光ごと霊符をぶち抜く。
符が真っ二つになって床に落ちた。
(なんだ?)
 符に触れた左の拳と腕が一瞬、重くなった気がした。
 どれだけの種類があるのかは知らないが、この状況で防御用を放つはずがない。
 何らかの攻撃用だったのは間違いない。
「霊符を素手で叩き落とすか……。思ったよりやるじゃないか……」
「もうテスト終了か?」
「まさか。ここからが本番さ」
 心なしか、先ほどよりも表情を緩めた優音が右腕を一閃させる。

“十二天が一、騰蛇!”

 符が赤く伸び、矢のように風を切った。
「うをっ!?」
 慌てて避けた頬がチリっと熱くなった。
 背後で焦げ臭い匂いがして、熱が押し寄せた。
「げ!?」
 矢が直撃したのだろう。
 廊下の突き当たりで火の手が上がっている。
「ちょ、燃やしてどーすんだよ!?アンタ、正気か!?」
「ああ」
 優音は涼しい顔で霊符を取り出した。
「結界内は現実世界と隔離されてるんだ。中でどれだけ破壊しても、現実世界には影響がない。君も遠慮せずにかかってきなよ」

“十二天が一、騰蛇!”

 放たれた赤い光が生きているように加速した。
 向かってくる火の矢は三本。
(速い……!)
 身をかがめた頭上を熱が通り過ぎた。
 霊符使いと戦ったのは、これで二回目だ。
 比較するほど戦いの経験はないが、前に戦った彰二と差がありすぎることだけはわかる。
 優音が霊符を発動させる速度は彰二の比ではない。
 飛来する速度だけでも三倍以上は差があるだろう。
 霊符が放つ光もずっと強い。威力も彰二が使ったものより上だろう。
(こいつ……、見かけより断然、強ェ……!)
 とはいえ、優音の上司の望は、「人を見かけで判断すると痛い目に遭う」を地で行くような男だ。
 あの上司にして、この部下あり、かもしれない。

“十二天が一、玄武!”

 間髪入れずに優音の呪が響く。
(さっきと同じヤツか!?)
 どういう力があるのかわからないが、発動に少し時間がかかるのはわかった。
 飛来してきた二枚のうち、蒼く光る一枚を叩き落とす。
 ――もう一枚……!

“爆ぜよ!”

 霊符が赤く光を放って弾けた。
「なにぃっ!?」
 慌てて腕で顔をガードするが、目が一瞬、眩む。
(霊符って、二種類同時に操れるもんなのか!?)
 二枚目を発動させる呪文は聞こえなかったが、玄武ではなかったはず。
 望でさえ、一枚ずつ使っていたのに――。

“十二天が一、玄武!”

 傍で霊気が動いた。
目はまだ回復していない。
(ホントにこいつ……補佐か!?)
 涼しい顔で次々に放たれる霊符は闇雲に放っているのではなく、こちらの動きを読んでいるようだ。相当戦い慣れている。
 だが、この隊には鎮守役は一人しかいないはず。だからこそ、望は怪我を押して戦い続けなければならないのだ。
(なんで、こんな奴が鎮守役じゃなくて補佐やってんだ!?)
 望ほどではないにしろ、これだけ強ければ戦えるのではないのだろうか。
 それとも、補佐に止まる理由でもあるのだろうか。
 どちらにせよ、考えるのは後だ。
 チカチカする目を開け、蒼い光に拳を繰り出す。

 チッ

 手応えと同時に、蒼い光が弾け飛んだ。
(あ、危なかった……)
 発動寸前といったところだろうか。
 ようやく目の残像が消え、一真は思いきり目を見開いた。
「げ!?」
 たった今、叩き落としたはずの霊符が眼前で蒼く光っている。いや、霊符がもう一枚あったのだ。

“圧!!”

 遠慮なく優音の呪文が響く。
 部屋の大気が揺らぎ、符から蒼の波紋が放たれた。
 蒼が一真の周囲に満ちる。
「な、なに……イィ!?」
 胸に蹴りが入ったように息が詰まり、体がべシャッと畳に押し付けられる。
 まるで像でも背中に乗っているようだ。
(な、なんだ、この符……!?)
 凹んだ畳の表面が湿っている。
 一真の周囲を囲んだ上下左右の蒼の壁が圧すたびに耳が痛む。空気が少ないのか、呼吸が苦しい。
「まさか、水……?」
「ご明察。水の気で満たし、全方位から水圧をかける霊符だよ。格の高さは流石だね。僕の玄武をまともに食らって気絶しない人なんて、組長くらいだと思ってたよ……」
「な、なるほどな……。さっきから、息、苦しいと思ったぜ……」
「それにしても驚いたよ、本当に霊符のことを何も知らなかったなんてね……。少しでもかじってたら、あんな無謀な突っ込み方はしないもんさ」
「うる、せェ。だから修業しにきたんだろーが!」
「修業しにきた?」
 優音は心外というように片眉を上げた。
「初級講座は霊符どころか本当の基礎止まりさ。霊符を含む補佐の修業はその後。おじい様から聞かなかったのかい?補佐になるまでに最短でも半年はかかる」
「なっ」
 ――半年……?
 基礎の修業が終われば、補佐の修業なんてすぐに終わると思っていたのに。
 半年の時間がかかってしまう――?
(今、三月の終わりだから……)
 優音の言葉が本当ならば、夏休みをも通り越して二学期になってしまう。
(ダメだ……!それじゃ……!!)
 激しい焦燥が湧き上がった。
 ――間に合わねェ……!!
 何故、そんなに焦っているのか――、自分でもわからない。
 何が「間に合わない」
のかも。
 ドクリッと心の深淵が脈打った。
 ――イソガナケレバ…………ガ……、クル……!
 頭の中で自分の声が響いた。
 視界が切り替わり、波動が鮮明に視えた。
「……組長は君を随分と高く買ってるけど、この程度じゃ話にならない。推薦なんて辞退してほしいもんだよ。仮に受けたとしても、最初から組長に指導してもらえるなんて図々しいことは考えないでもらいたいね。あの人は君なんかと遊んでるほど暇じゃないんだからさ」
「うるせェよ……」
 圧してくる力に逆らい、身を起こす。
「アンタに言われなくたってなぁ……!んなことわかってんだよ……!」
 優音が鼻で笑った。
「まだ頑張るつもり?いいよ、じゃあ、君がこのテストをパスできたら補佐の修業から始められるように特例を認めてあげるよ」
 勝ちを確信しているのか、優音の表情は余裕そのものだ。
「その言葉……忘れんなよ!?」
 左手を右の甲に重ね、意識を集中する。
(しょうがねェか……)
 心の中で舌打ちする。
 なりふりを構っていられる相手ではない。
 手の平の下で碧の光が溢れた。

“風よ……!”

 ゴウッ

 呼びかけに応え、碧の光を含む風が結界内に巻き起こった。
 一真の意のままに頭上で碧の渦を巻き起こす。
「なっ!?風!?まさか、霊風……!?」
 優音が驚愕に目を見張る。
 望から聞いていなかったのだろうが、それはお互い様だ。

“風よ!我が意に従え!!”

 内から溢れるままに一真は言霊を解き放った。

“引き裂け……!裂空!”

 刃となった風が霊符をズタズタに引き裂いた。
 蒼が霧散し、途端に体が軽くなる。
 一真は立ち上がり、左拳を握りしめた。
「……悪いな、先輩……。霊風って特殊なんだろ?こーいうテストは風使わねェで拳だけでパスしたかったんだけどよ……。そーいうこと言ってる場合じゃねェみてーだからな」
 拳に風がまとわりつく。
 揺らめいていた蒼い幕が碧に染まる。
「はは、なるほどね……!これが君の本当の力か……!」
 髪を、上着を碧風に煽られながら、優音が笑った。それまでの含みのある冷たいものではなく、心底愉快でたまらないような明るい声で。
「この高い格と霊風……!まさか、天狗の証であるはずの風をここまで自在に操れるなんてね……!組長が君を推薦した理由がようやくわかったよ……!」
「……霊風が卑怯ってんなら、それでもいいぜ?」
 握り締めた拳に碧の光が集結する。
魂の奥から吹き出してくる力が全身の感覚を呼び起こしていく。
 風が、気の流れが、全てが視える。
「風無しで仕切り直せばいいだけだからな……!」
 優音は笑みを深くした。
「風でも何でも使えばいいさ。後で無効だなんて姑息なことは言わないよ。全力でやってくれなくちゃ、意味がない……!」
「へ、アンタ、見かけよりいい奴じゃねェか」
「簡単に行くと思うかい?」
 それまでと別種の笑みを浮かべ、互いに身構えた。

“我が気を食らいて、その威を現せ……”

 優音が手にした霊符が光を放った。

“十二天が一、玄武!”

 五枚の符が前後左右から迫る。

“風よ!我が意に従え!!”

 碧が一真の周りに集った。
 感覚に従い、思うままに風に呼びかける。
 体が覚えているのではない。
 記憶しているのだとすれば、それは魂――。

“渦巻け……!旋風!”

 ゴゥッ

 渦巻いた碧の風が五枚すべての霊符を呑み込み、天井へと巻き上げた。
 頭上でガラスにヒビが入るような音がした。
 風を追うように自らも駆け出す。
 試験のクリア条件は優音に一撃入れること――。
 風が優音の呪を耳に運んだ。

“十二天が一、勾陣!”

 黄色く光る霊符が優音の前に盾を造り出す。
その数、五枚。
 一枚は勾陣とやらの霊符を中心に、一回り小さな黄色い霊符が正方形を形作る。光の強さも、その大きさも、彰二が造ったものに比べると数倍はあるだろう。
「うおおおおおおおおおおおおおおお……!」
 左拳に碧の光が集結した。
 突き出した拳から盾に碧の光が走る。

 バキン、

 煉瓦ほどの分厚さの黄色い壁がボロボロと落ちた。
「勝たせてもらうぜ……!」
「それはどうかな?」
 砕けた盾の向こうで優音が霊符を構えた。

“十二天が一、白虎!”

 霊符が白い光とともに小太刀ほどの長さに伸びる。
 刃を手に、優音が踏み込んでくる。
(速い……!)
 茶色い髪が数本、風に舞った。
 ギリギリで踏み止まった姿勢から、一真は半歩踏み込む。
 右腕を振り切った直後の優音に反応する間はない。
 一真の左手が真っ直ぐに伸びる――!

 ぺちっ

 軽快な音が優音の額で鳴った。
「え?」
 眼鏡の奥の目がパチパチと瞬きを繰り返した。
「で、でこぴん?」
 一真は悪戯が成功した子供のようにニヤリと笑った。
「これも一撃、だろ?これから世話になるってのに、厄介な揉め事抱えたくねェからな。本気で殴れって言うなら、殴り直すけどさ」
「……いいや、合格だ……」
 優音は目を閉じ、かぶりを振った。
「君は既に、もう一つの条件をクリアしてるんだから……」
 パキパキと頭上で鳴っていた音が蒼い幕のあちこちから上がった。
「え?」

 何が起きたのかを理解するよりも先に、碧の亀裂が走った。