春暁の前に

2話



「早速始めようか」
 葉守神社の敷地内に広がる森林の一角にひっそりと立つ屋敷の一部屋。教室ほどの広さの和室に落ち着いた声が響いた。
 部屋には横長の机が三列並び、「講習」というわりにはホワイトボードや黒板といったものは見当たらない。
 普段は別の目的で使っている部屋なのかもしれない。
「修業の内容は大きく分けて二つ。霊体の安定法と簡単な護身術だ。修業期間は約一ヶ月になっているけれど、かなり個人差があるから、自分のペースで身に着けてくれるといい。まあ、学校が始まる前に霊体を安定させられているのが望ましいけれど」
 壬生優音、と名乗った少年は望と同じ春から槻宮学園高等部の三年生らしい。
 望が中学生くらいに見えるのと対照的に、こちらはクールな理系教師といった雰囲気だ。  ワイシャツにスラックス、フレーム無しの眼鏡がクールさに拍車をかけ、全身から「優等生」オーラが滲み出ている。
(うげ、いかにも委員長って感じだな……)
 彼も補佐なのだろうが、一真にとって「苦手」に分類されるタイプだ。
 恐らく、向こうもそうなのだろうけれど。
「ここまでで質問は?」
「じゃあ、イッコいいか?」
 光咲と詩織の表情から察し、一真は手を上げた。
 他に受講生はいない。三人で最前列に座り、講師の優音と向かい合っている格好になっている。
 講習会というより、テスト前の勉強会といったほうが雰囲気としては近いだろう。
「霊体の安定法はわかるけど、護身術って何やるんだ?この修業って、鎮守隊に入る為のものじゃねェって聞いてたけど」
 やはり気になっていたのだろう。光咲と詩織が横でコクコクと頷いた。
「それはもちろん。入隊希望者には、更に修業を積んでもらうよ。ここでやる護身術は、あくまで邪から自分を守る手段だ。邪に襲われた時に最小限のダメージで済ませる為の、ね。隠人は霊格が高い分、霊力も大きい。邪からすれば格好の獲物だからね」
「私達って狙われてるんですか?」
 光咲が恐々と質問した。早くもノートを広げている。
「まず、邪っていうのは、人、物、植物……、浮遊している霊体が何らかの原因で穢れ、邪気を帯びたものの総称だ。初期段階のヤツを邪霊と呼んでいる」
「え……。それじゃ、元々は悪いことしないんですか?」
「善悪はともかく、積極的に人を襲ったりはしない奴が大半だね。だけど、一度、邪気を帯びると自ら霊力を生み出せなくなり、他から奪うしかなくなる。そんな時に奴らが狙うのが、大きな霊力を宿しながら無防備な存在――、人間であり、隠人なんだ」
「……霊力生み出せなくなるって、そんな大ごとなのか……?」
「大ごとだよ。霊力は魂の力であり、霊体を形成する器の素でもあるんだから。人間が霊力を生み出せなくなったら、無気力状態に陥り、意志そのものが薄れていく。下手をすれば魂が死滅し、肉体も死に至る」
「霊力がなくなったら、し、死んじゃうんですか!?」
「人間はまだ肉体があるだけマシだよ。最悪の事態に至る前に手を打てる。逆に、霊体だけで存在してる霊にとっては霊力の枯渇は消滅に直結する死活問題だ。強烈な渇きと飢えで自我を失い、人を襲い続ける。その時に霊力を奪った相手の恐怖や痛みを吸収して、更に凶悪な邪に変貌していく。悪循環だね」
「ど、どんな風に霊力奪うんですか?」
 怖がっていたわりに、光咲は際どい質問をしてはノートに書き込んでいく。
 横では詩織も必死にシャープペンを走らせている。
「邪によって違うから一概には言えないな。直接食いついてきたり、蚊や蛭みたいに吸い取っていったりが多いな……。その時にかなりの確率で肉体を傷つけられるから気をつけて」
「蚊とか蛭……!?邪って、もしかして、虫ですか……?」
 詩織が気持ち悪そうに顔をしかめた。
「形状はいろいろあるから、こちらも一概に言えないよ。まあ、邪霊は濁った火の玉とか、黒い靄を纏っている場合が多い。そういうのを見かけたら、とりあえず鎮守隊に連絡してくれるかい?」
「は、はい!」
 怖かったのだろう。
詩織はキュッと唇を結んで書くことに集中し始めた。
「厄介なのは、邪霊になるタイミングなんてわからないから、通り過ぎるまでは無害だった奴が、急に後ろから襲いかかってくることもないわけじゃない。浮遊霊全てが邪霊になる可能性があることは頭に置いておいたほうがいいね」
「そんな……!外に出たら、浮いてる人とか透けてる人って、結構いっぱいいるのに……!」
 顔を強張らせる光咲の横では詩織が青ざめている。
 ここに来る前にすれ違った浮遊霊を思い出しているのかもしれない。
「修業を続けていくと危険そうなヤツはわかるようになるよ。そこらへんにいる奴は、ほとんどが無害だし、友好的な奴もいるほどだ。必要以上に怯えなくてもいいけど、不用意に近づくのも避けたほうがいい。まあ、知らない人について行くなっていうのと同じだね」
「はーー、よかったあ……!」
 光咲が胸を撫で下ろした。
 そもそも、浮遊霊全てが襲ってくるなら、今まで無事でいられるはずがないのだが。
「隠人は覚醒すると霊力が大きくなって邪霊の目につきやすくなる。鎮守隊が邪を鎮めて回ってるといっても、いつどこで、何かの拍子に生じる邪霊を先回りして鎮めるなんて不可能なんだよ。だから、隠人本人に身を護る術を身に着けてもらうんだ。覚醒した隠人は、邪に狙われやすくなる半面、奴らに対抗する術を身につけられるだけの力を持っているからね。護身術っていうのは、そういうことさ」
 光咲と詩織は真剣そのものの表情で頷いた。
 優音はチラリと腕時計を見た。
「退屈な講義はこのくらいにしよう。今日の課題は霊気に慣れてもらうこと。五行……、土、水、火、金、木、無数に漂うそれぞれの気を感じとり、同調するんだ。これが全ての基本になる。始めるよ」
「は、はい……!」
「お願いします!」
 詩織と光咲が緊張した面持ちでピシッと背筋を伸ばした。
「ああ、そんなに緊張しないで。斎木君くらいリラックスしてるくらいでいいよ」
 幼馴染と妹が揃ってこちらを注目する。
 足を崩し、お世辞にも行儀がいいと言えない姿勢でいただけに一瞬焦る。
「マジ?こんなのでいいのか?」
「その緊張感のカケラもないリラックス状態は素晴らしいよ。あと少しダラしない方向に崩したら注意するところだけど」
「う……」
自らは正座の姿勢を崩さず、優音は大きく深呼吸するように指示した。
「目を閉じて、耳を澄まして――、あ、斎木君はいい。これから僕と一緒に来てくれるかい?」
「へ?」
「北嶺さんと斎木さんはそのまま続けておいてくれるかい?僕はここで失礼するけど、専門の講師がもうすぐ来てくれることになっているんだ。後は彼女に習ってほしい」
「鎮守隊の隊員さんですか?」
「この神社の巫女さん。この講習会の本当の講師さ。神社のほうで急用があって時間に間に合わなくてね。二十分ほどで戻れるって言っていたから、そろそろ交代時間だ」
「え?それじゃ一真君は??一緒に修業するんじゃないんですか?」
「彼は君らよりかなり格が高いからね。彼がいると木の霊気が強すぎて、他の霊気が感じ取りづらいから、別の部屋でやってもらうよ」
「え?で、でも……」
「一緒に修業やりたいよね、お兄ちゃん……」
 一真は立ち上がった。
「教官が言うんじゃしょーがねーよ。ちょっと行ってくる。二人とも頑張れよ」
 やや不安そうな様子の光咲と詩織に手を振り、一真は優音に続いて部屋を出た。



「……何の用スか、壬生先輩?」
 廊下を暫く進み、光咲達がいる和室に話し声が聞こえないほど遠ざかってから、一真は切り出した。
廊下を曲がってきた二十歳前後の巫女が会釈をして通り過ぎた。
 彼女が光咲達の講師だろう。
「……何のことだい?」
 とぼける背中に軽く鼻を鳴らす。
「いくらオレの霊格が高いっつっても、森とか土より霊気が強いわけねーよ。あいつらに聞かせたくねェような話があるんだろ?ま、鎮守隊がオレに話なんて、鎮守役の推薦状絡みのことくらいしかねェけどさ……」
「ふぅん、鋭いんだね」
 優音は立ち止まり、振り向いた。眼鏡の奥の目が鋭く光る。
「数年ぶりに現れた鎮守役候補、それも覚醒するなり組長と一緒に鏡面と戦ったなんて言うから、どんな奴かと思っていたけれど……、普通の子だったから拍子抜けしてたんだ」
 ふわりと優音は自分の右肘に触れた。
 ワッ
 青い光が舞い、周囲から音が消える。
「驚かないんだね」
「結界っていうんだろ?こないだの鏡面の時に城田先輩のスゴイの見てるからな、小規模なの見たとこで何ともねェよ。中に入っただけでビビッてられるかよ」
「へえ、鏡面との戦いに参加したっていうのは本当みたいだね……」
 ブレスレットに触れた優音の手に数枚の霊符が出現する。
「僕は疑り深いんだ。鎮守役に推薦されるほどの君の力……どれほどのものか試させてもらうよ」
「へっ、腕試しってことか」
「……組長は霊格、剣技、術……、全てにおいて他の組の鎮守役主座さえも敬意を払う、霊山すら認める天才だ。たった一人で多くの邪を鎮めてきた、組の誰もが認めるリーダーなんだよ!そんな人が……!覚醒したばかりの素人を、補佐ならばともかく、よりによって鎮守役に推薦するなんて……!疲労のあまり、まともな思考ができなくなっているとしか思えない……!!」
「ま、確かに補佐にとっちゃ冗談みてーな話だよな……。てことは、アンタ、最初からこのつもりで講習に顔出したってことか?」
「組長の誤った判断を正すのも僕の役目でね……。候補生がどの程度の奴なのか……、自分の眼で確かめるのが一番手っ取り早いだろ?」
 一真は口の端を吊り上げた。
「アンタ、面白ェじゃねーか。指図してくるだけの頭でっかちタイプだと思ってたぜ……」
陰湿な嫌がらせを回りくどく仕掛けてくるよりも、正々堂々、正面からぶつかってくるほうが、よほどいい。一真は優音の評価をかなり修正した。
「合理主義と言ってくれるかい?実力を測るのは抜き打ちテストが効率的なんだ」
「こーいう抜き打ちならいつでも歓迎するぜ?」
「それは頼もしいねぇ……」
 ネチリとした口調が彼の内心を代弁している。
「内容はシンプルだよ。僕に一撃入れるか、この結界を破って外に出れば合格。ただし、僕も全力で攻撃する。全く修行をしていないなんていう事情は一切考慮しない。リタイヤするなら今のうちだ。まあ、こんな程度で逃げるような人を鎮守役として認める補佐なんて西組にはいないけどね」
「なら、安心だな。逃げる気なんざカケラもねェからよ……」
「その度胸だけは褒めてあげるよ。鎮守役はそれくらい強気じゃないとね……」
 眼鏡の奥の瞳が細められた。

“我が気を食らいて、その威を現せ……”

 霊符発動の言霊がテスト開始の合図となった。