春暁の前に

1話



「ジイちゃん……、ちょっと話があるんだけどさ……」
 朝日が差し込むダイニングで一真は祖父を正面から見つめた。
 テーブルの上には詩織が用意してくれた食後の緑茶が湯気を立てている。
「む?」
 伸真は新聞から顔を上げ、茶を一口啜った。
 その所作は変わらないが、受ける印象はガラリと変わった。
 正確には三日前――、鏡面との戦いを終えた日から、一真の目に映る世界は変わった。
 それまで見えなかったものが視えるようになり、気づかなかった音が聴こえるようになったばかりか、夜の闇の中でも全く不便を感じなくなった。
 まるで獣のように――。
 外に出ると、あちこちで浮遊している幽霊のようなモノを見かけるが、二日もすれば慣れてきた。
「急に改まってどうした?」
 あの日、伸真は、昼には出張先から松本医院に駆けつけてきた。
 鎮守隊から詳しく事情を聞いたらしく、詩織だけでなく一真の覚醒も把握していて、説明しなければならないことはほとんどなかった。
 逆に、「時が来た」と、祖父自らが自分達の家系、霊筋、家業について説明してくれた。
 狼の霊筋も、数百年続く霊刀鍛冶師としての家業も、以前の一真ならば半信半疑だっただろう。
 だが、今の一真には自分の中の狼の霊筋を感じることができるし、家に満ちる金の霊気と霊刀を結び付けることができる。
(さすが元鎮守役。
朝からスゲエ霊気だぜ……)
 白い陽炎が全身からユラユラと立ち昇っている。
 強い金の霊気を宿している証拠だ。
伸真は七十歳を超えているが、霊紋はまだ閉じていないという。
 霊気だけでもかなりスゴイが、さらに愛用の着流しの胸元からはプロレスラー並の厚い胸板が覗く。
 孫としては、あのごつい筋骨隆々とした体躯が家系的なものなのか、伸真個人のものなのかが気になるところだが、なんとなく聞きづらい。
 一真は手にしていた一枚の書面をテーブルに置いた。
「こいつに名前書いてハンコ押してくれ!」
「入学書類は全て提出済みでなかったか?」
 予想外だったのか、伸真はしげしげと書面を眺めた。
「鎮守役?ほう、望君直々の推薦状ではないか。あの子に推薦状を書かせるとはのう……。推薦を受けるということは、随分と気が合ったようじゃな」
「へへ、まあな。部活やっても性格合わねー先輩っているだろ?一緒に戦った感じだけど、城田先輩なら上手くやってけそうな気がするんだよな。めちゃくちゃ強ェし!だから、ジイちゃん!参加してもいいだろ?」
「ふむ……」
 伸真は難しい顔で黙り込んだ。
「ジイちゃん?何かおかしいとこあるのか?」
「いや、特にはないが……」
 二つ返事で許可してもらえると思っていた一真は祖父を窺った。
 今日はこれから詩織と光咲とで葉守神社へ行くことになっている。
 伸真に許可してもらえたら、提出を済ませたいのだ。
「……はやる気持ちはわからんでもないが、少し落ち着かんか。覚醒してから、まだ三日じゃぞ?」
「オレは落ち着いてるって!あれから三日も経ったんだぜ!?」
「たったの三日じゃ」
「もう三日だってば」
 口を尖らせた。
「んだよ。ジイちゃんは反対なのかよ?」
 伸真は「そうとは言っとらん」と息を吐き、茶を啜った。
「鎮守役を含め鎮守隊への参加を決めるのは、基礎講習を終えてからで良いことになっておる。鎮守役はお前が考える以上に危険な立場じゃ。率先して邪と対峙し、時には見ず知らずの他人の盾とならんといかん。修業の厳しさも補佐とは比べ物にならん。己の性格、霊力……、様々な特性を見極めてからでないと、修業中に再起不能となることもある。参加を決めるのは、もう少し後でいいじゃろう」
「何言ってんだよ!この町っていうか、西組だっけ?ここには、その鎮守役が一人しかいねェんだろ!?人数増えんのはいいことじゃねェか!修業が厳しいってんなら望むとこだぜ!」
「……一真……、鎮守役になるということがどういうことか、わかっておるか……?」
 既に一真の署名捺印を済ませた推薦状を手に取り、伸真は深々と息を吐いた。



「あ〜〜!!クソ、むかつく……!!あんの筋肉ジジイ〜〜〜!!」
 並んで歩く光咲が「まあまあ」と宥めた。
 淡いピンクのカーディガンの肩でふわふわとツインテールが揺れる。
「たぶん、伸真おじいさんには、いろいろ考えてることがあるんだよ。経験者なんでしょ?」
「それはそーだけど……」
 伸真曰く、「つべこべ言わず、神社で講習を受けてこい。鎮守役の話はそれからじゃ」とのことだった。
 もちろん、ちょっと反対された程度で引き下がる一真ではない。
 なおも食い下がる孫に、伸真は超真面目な顔で言い放った。
『よいか?鎮守役候補の指導は現役の鎮守役でなければ務まらん。お前が鎮守役参加を決めれば望君に弟子入りという形になるが……。望君が鎮守役の責務を一身に背負い、ろくに睡眠もとらずに奮闘しておることは知っておるじゃろ?基礎も心得ておらんような初心者を弟子にする余裕が、あの子にあると思うか?』
 望側の事情を出されると一真は引き下がるしかなかった。
 誰が見ても体力がレッドゾーンに達している望の僅かな睡眠時間を削れば、その先にあるのは、まだ高校三年生の鎮守様の過労死だ。
 さすがにそれは痛ましすぎる。
「ジイちゃんが言ってることもわかるんだけどさ……。隠人の修業って一ヶ月近くかかるんだろ?その一ヶ月経つ前に、先輩が倒れたらどーするんだって思うんだよな……。今でもかなりヤバい感じするのにさ……。あの人、年中貧血っていうか肉体の限界超えてそうじゃね?なんか、ある日、急に卒倒して入院しそうな感じするんだよな……」
「う……、凄くありそうかも……」
「だろ?そーなったら手遅れじゃねーか……。代わりの奴いねェのにさ……」
 望の圧倒的な強さは認めるが、スタミナ面は全然信用していない。
 あれだけの怪我を負っても刀を振り回していたのだから、補佐よりは遙かに頑丈なのだろうけれど。
「そりゃ、先輩みてーに鎮めんのは無理かもしれねェけどさ、今でも邪の足止めくらいできると思うんだよな……。先輩が忙しくて無理だってんなら、ジイちゃんが基礎とか教えてくれりゃいいのにさ……」
「伸真おじいさん、何て?」
「注文が溜まってるから無理だってよ……」
 庭の作業場の机に束になっていた注文書を思い出し、一真はげんなりとした。
 あの出所不明の大金は刀の収入だった。
 伸真の霊刀は全国の現衆や霊山の天狗に愛用者がいて、各地から注文が入るらしい。
 その価格も一振り何百万円という、一真が見たこともないような金額で取引されているという。
 注文者が実際に刀を振るって戦う以上、修復依頼や調整も後を絶たず、そちらだけでもかなりの収入があるらしい。
 つまり、金物屋は霊刀鍛冶師という特殊な職業を隠すためのカモフラージュ。
 店に客が全く来なくても、趣味でダンベルを並べようとも、何の問題もないのだ。
 一真としては祖父が本当に犯罪に手を染めていなかったことに、まず胸を撫で下ろしたが、あの注文をどうやってこなすつもりなのだろうという別の危機感が生まれたかもしれない。

「お兄ちゃん、あのお化けと戦うの?」
 黙って聞いていた詩織が不安そうな顔をした。
 詩織にはあの夜の記憶はほとんどない。
 鏡面が部屋に侵入してきた時のことはぼんやりと覚えているようだが、その後のことは覚えておらず、何故、自分が病院にいるのかもわからないようだった。
 伸真、松本医院の隠人専門カウンセラーと話し合った結果、詩織本人に真相は伏せることになった。
   「鏡面」と呼ばれる凶悪な邪物にとり憑かれたことも、それにとり憑かれて兄を刺したことも、この町の鎮守役を傷つけたことも――、自分の意志ではなかったとはいえ、内気で深く考え込んでしまうところのある詩織にはキツすぎる。
 全てを知って霊体の安定を失うよりも、知らないでいたほうがいいだろう――、三人が出した結論はそれだった。
 「詩織は侵入してきた化け物に驚いて気絶して病院に運ばれた」――、一真達はそれで口裏を合わせた。
 ただし、腕に表れた霊紋は消えることはなく、より鮮明に白い光を時折放つようになった。
 腕の霊紋が夢でなかったことに狼狽していた詩織も、それが家系的なもので、自分だけでなく祖父も一真も同じだと知り、一先ず落ち着いた。
 更に光咲も同じ――、隠人だと知ると、すっかり安心したらしい。
 乗り気で修業に参加することを決め、退院後は以前よりも明るくなった。
 そんなわけで、今日は指定された修業初日。
 隠人の修業とやらと受けようと三人で朝から葉守神社への道を歩いている。
「あのお化け、すごく気持ち悪かったよ?あんなのと戦って大丈夫……?」
 社務所に申し込みの電話を入れると、「動きやすい格好で」と言われたので、詩織はブラウスにキュロットスカート、上からポンチョを着ている。
「おう、任せてくれ。あーいう輩が二度とお前にちょっかいかけねーようにぶっ飛ばしてやるからさ!」
「で、でも、とり憑かれちゃったら……!」
「んなもん気合で追い出してやるぜ!詩織は余計な心配してねーで、自分の修業を頑張るんだぞ?」
「うん……」
「鎮守の連中がいじめたらオレに言えよ?話つけてやるからな?」
 一真流の「話をつける」がどういう意味か……、熟知している光咲が慌てた。
「か、一真君?いきなり喧嘩売っちゃダメだよ?お母さんが言ってたけど、西組は補佐も少ないから怪我人が出たら大変だって……」
「売らねェって。ちょっと人が来ねーとこに呼び出してサシで話し合うだけだって。でも、番長とは一回、手合せしてみたいんだよな〜〜。隠人の能力使って勝負したら洒落にならねーから、人としてだけどさ」
 番長こと関戸剛士は先生から目の敵にされるような自他ともに認めるヤンキーだった。
 ただし、曲がったことを嫌う筋の通ったヤツで、その喧嘩強さと相まって下級生からの人気は高かった。
 そんな奴が年下の女の子をいじめるような腐った真似はしないだろうから、勝負するならば修業中に、ということになるのだろうか。
「だ、ダメだよ!そんなことやって二人とも怪我しちゃったら、城田先輩にトドメ刺しちゃうよ!?」
「……う……、そっちの危険があったか……」
 過労のあまり路地裏で倒れている鎮守様の姿があまりにもリアルに浮かんだ。
 同じことを想像したのか、光咲がハッと口を押えた。
「って、ホントに倒れてたらどうしよう……!凄い怪我してたのに、すぐに神社に戻っちゃったし!そこの看板の裏に蹲ってたりとか……!」
「怖すぎだろ、それ……。いくらなんでも、んなことねーって……たぶん……」
 口では否定しつつ、一真は思わず看板の影に水色のパーカーを探した。