春暁の前に





 薄暗い闇を赤い光が走った。
 断末魔の声を上げる間もなく黒い影が霧散していく。

 ビュッ

 赤い刀身が闇に赤光を撒いた。
 澱んだ空気が晴れ、夜明け前の清々しさが辺りに戻ってくる。
「これでよし、と」
 刀を収め、望は霊気を落ち着けた。
 赤い霊気で薄紫に染まっていたパーカーが空色を取り戻す。
「終了しました。入ってください」
 鎮守印で結界の外で待機していた補佐達に連絡を入れると、ほぼ同時に結界が解けた。
 結界に入った時よりも少ない人数に望は目を細めた。
「お疲れ様です、組長」
 他の隊員を押しのけるようにして大きな青年が労った。
 補佐頭の関戸剛士だ。
「もう一件のほうはどうなっていますか?」
「それが……」
 歯切れの悪い返事と硬い表情に事情を察する。
「見失ったんですね」
「申し訳ねぇ。沖野と千田が捜索に当たってるが、まだ見つかってないようで……」
「仕方ありませんよ。僕達の人数に比べて邪の数が多すぎるんだもの。じゃあ、皆で応援に行きましょうか」
 軽く伸びをして邪気を探り始める。
(あれ?)
 すぐ傍から硬い気配が漂っている。
 発しているのは補佐頭を始めとする補佐達だ。
「どうかしましたか?」
「組長は神社に戻って休憩を。捜索は俺達に任せてくれ」
「どうして?一緒に行った方がすぐに鎮められて早いのに……」
「組長!」
 怒気を孕んだ声に驚いたのか、塀の上に止まっていた雀が逃げて行った。
「え?僕、何かしましたか?」
 心当たりがあることが多すぎて、どこまで遡ればいいかわからない記憶を辿ってみる。
(おかしいなあ、ここ二日ほどは皆に迷惑かけた記憶は……)
 勢い余って作りかけの包囲網を破壊したこともなければ、屋根の上を走っているところを一般人に目撃されたこともないし、食事を忘れて貧血で座り込んでいるところを救助された記憶もない。
「アンタが積極的に何かしたわけじゃねえから、考えてもわからんだろうぜ……」
 剛士が指示に忠実な補佐頭の顔から、厳しい「目付役」の顔になった。
「さっきので今夜は八件目。昼間を合わせれば十二件目だろ!?俺達は夜と昼で交代するし、非番だってあるが、アンタは昼も夜も邪が出れば出動で、まともな非番の日なんざない!昨日だって朝から二番隊、三番隊をハシゴした後、昼にはこっちに戻って戦ってたろうが!だいたい、あの鏡面と戦って重傷負ってから、まだ三日だぞ!?こういう時くらい休め!」
「でも……、あの時の怪我はもう治ってるし……ほら」
 望は左肩をぐいっと掴んでみせた。
 完治までに二週間以上を覚悟していたが、あの夜以降、霊力が戻り始め、治癒力も以前と同じほどに高まっている。久しぶりに調子がいい。
 だが、剛士は怖い顔を更に怖くした。
「……伝令役も心配されている……。あの鏡面のせいで南組からの応援の話がなくなっちまったってのに自分が倒れたらどうなるか……、考えたことあるか?」
「大げさだなあ。ねえ、みん……な?」
 補佐頭を援護するように他の隊員の視線が突き刺さった。
「あ、あれ?なんだか怖いなあ……」
「……アンタなぁ……、そんな青い顔して目の下にクマ作ってフラつきながらンなこと言っても信じる奴なんざいるわけねーだろが……。いいから、半病人は今すぐ家帰って飯食って寝てろ……。邪を包囲したら連絡を寄越す……」
 剛士は中学生から高校生にかけて「番長」の異名を取っていただけに、凄んだ時の迫力は大きな体躯と相まって鬼顔負けだ。
「えっと……、そんなに顔色悪い?」
 剛士だけでなく他の補佐も大きく頷いた。
(どうしよう……。久しぶりに皆が怖い……)
 逆らえない空気が前後左右から圧してくる。
 たった一人で邪の群れを相手にするよりも、よほど辛い。
「……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えようかな……。包囲したら教えてください」
「ああ、そうしてくれ。行くぞ、皆」

 駆け出す隊員達を少し寂しい気分で見送りながら、望は二日ほど仮眠をとっていなかったばかりか、最後にまともな食事をしたのが三日前に松本医院でもらったサンドイッチだったことを思い出していた。