春宵の邂逅





「……をして、神社……ってください。僕も、すぐにそちらに……」
目を開けると、白い天井が広がった。
照明は点いていないが、窓から入る光でうっすらと明るい。
夜が明け始めているようだ。
消毒薬の匂いが鼻をついた。
(……病院……?あれ?なんでこんなとこで寝てんだ……?)
邪にとり憑かれた詩織を追いかけて、橋の上で鏡面とかいうのっぺらぼうと戦って――。
それから――?
「あ〜〜〜〜〜〜〜!!」
ガバリと起き上がった。
全身に気だるさと痛みが走るが、それどころではない。
「詩織は!?どーなったんだ!?」
「無事ですよ。別の部屋で休んでもらっています」
「先輩……」
隣のベッドに腰を下ろした望は、ペンダントを手に笑った。
左腕を吊るし、血で汚れたパーカーを羽織っている姿に、嫌でも昨日の鏡面との戦いが蘇ってくる。
右腕から伸びる点滴の液が窓の光を反射した。
「鏡面は?アンタが倒したのか?」
琥珀の瞳がキョトンとした。
「もしかして覚えてないの?」
不思議そうな表情に一真は慌てて昨夜の記憶を辿った。
望が鏡面を押さえている間に、詩織から仮面を引き離そうとして――、それから?
「……わかんねェ。仮面を引き剥がそうとしたとこまでは覚えてるけど……」
「……なるほど……、やっぱり一時的な異常覚醒が起きていたようですね」
「なんだよ、それ……」
「霊格が隠人の域を超えて異常上昇したんですよ。僕達の祖先だという霊獣……、彼らに匹敵するほどまで……。昨日の一真君は尋常じゃなかったから気になってたんですよ……」
「全然記憶にねーけど……」
「そうなの?凄かったですよ。鏡面の邪気を完全に圧倒するし、素手で鉄製の仮面に穴開けてたし……。傍で見てた僕も、ちょっと怖かったかな……」
「え……」
なんとなくショックを受ける。
思い出そうとしてみるが、やはり頭に靄がかかったようで何も浮かばない。
それよりも、そんな状態に陥っていたということは――。
「待ってくれよ!まさか、勢い余って詩織を攻撃してたりとか……」
「そこは大丈夫です。ちゃんと止まってましたから。どうやら、格の急激な上下で記憶が飛んでるみたいですね。あとは……」
望は血まみれのパーカーを手に取り、一真の鼻先でヒラヒラと振った。
「……何やってんだ?」
「どうです?血の匂いに興奮しますか?」
「……オレを何だと思ってんだ?」
「冷静ですね。霊体への後遺症はなし、と……」
望は手元のボードに何やら書き込み、横に置いてあった書類を手に取った。
「異常覚醒を起こすと、獣の凶暴性が霊体の中に残ることがあるんですよ。血の匂いに異様に興奮したり、霊格がまた急上昇したり……。そうなった時に抑えるのは僕の仕事ですから」
「もし、残ってたらどうなったんだ?」
「落ち着くまで隔離、かな。後遺症が消えるまで監視させてもらいます。一真君の場合、後遺症がないから怪我さえ良くなれば退院してもらっていいですよ。あとは松本先生の判断に従ってください」
右腕から伸びた点滴のチューブを少し邪魔そうにしながら、望はベッドの柵でトントンと書類をそろえた。
あれも、鎮守の仕事なのだろうか。
「……もしかして、昨日の夜から、ずっと起きてるのか?」
「後始末がありますからね。夕べは僕もキツかったから、邪物の回収は補佐にやってもらって病院に来ましたけど。一真君達をここまで運ぶのも任せちゃったかな」
後始末。
それには、一真の後遺症の診断も含まれるのだろうか。
(結局、オレは……)
無理やりついて行って、何もできなかった。
足を引っ張っただけかもしれない……。
「妹さんの容態ですけど……、鏡面の邪気は抜けています。霊体が消耗していて昏睡状態だから、先生から許可が出るまでもう暫く面会謝絶になるかな……。鏡面に巣食われていたことは、本人が切り出すまで触れないほうがいいでしょう……どうかしましたか?」
黙り込んでいるのを不審に思ったのか、望は書類を封筒に入れて振り向いた。
「……その、さ……」
珍しく言い淀む。
なんとなく後味が悪い。
「迷惑かけっぱなしになっちまったなぁって思ってさ……」
「え?なんのこと?」
「……オレ、大口叩いといて、結局、何もできなかったし。あいつを倒したのだって先輩なんだろ?詩織のことも、何にもできなかったし……」
望はカラカラと笑い始めた。
「いやだなあ。初陣であれだけやれたら十分すぎますよ。正直、強引についてくるって言った時は困りましたけど……。あの邪物、予想以上に強かったし、一真君がいなかったら、かなり危なかったもの……」
「危なかったって先輩が?冗談だろ?」
「こんなことで冗談言ってどうするんです?それに……、僕としては嬉しいことがあったし……」
「嬉しいこと?」
「ええ」
望は左手の手袋を外した。
「それ……」
「これが、僕の霊紋です」
手の甲に上を向いた赤い三角が連なり、うっすらとした光を放っている。
チリチリと疼く右手の甲に目をやれば、三角の連なりを縁取ったような紋が浮かんでいる。
墨色のそれが仄かに碧に染まった。
「高位の狼の霊筋の証らしいですよ。一真君の紋とは少し違うけれど……。自分以外で、このだんだら模様みたいな紋を持っている人に会ったのは初めてです」
「それって、どういう……」
「そこまではわかりません。ただ、僕達は同格の霊筋だってことは間違いないでしょう。風を操れることも含めて……」
本当に嬉しそうに望は手袋をはめ、ベッドを下りた。
「そろそろ行かなくちゃ。お大事にね」
「お大事に、じゃねェよ!オレよりアンタのほうが重傷じゃねェか!!雑用なんて補佐に丸投げしときゃいいじゃん!」
「あはは、心配してくれてるんですね。じゃあ、これを読んで早めに神社に来てくれると嬉しいな」
望は封筒を二通、差し出した。
「オレと……詩織に?」
「現衆の仮参加申込書と修業の申込用紙です。一真君のほうには鎮守役への推薦状も入ってるから、匠が戻ってきたら相談して決めてください」
「推薦?補佐じゃなくて鎮守役にか?」
「ええ。西組の組長兼鎮守役主座として、君を鎮守役に推薦します。戦闘力は頭抜けてるし、性格的にも……、あの鏡面をあそこまで挑発できれば十分です。まだ入隊する気持ちがあるなら、鎮守役として入隊してください。だからって強制じゃありません。決めるのは修業が終わってからでもいいですよ」
「あ、ああ……」
鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌で、望は点滴を押して病室を出て行った。


「一真君!」
「光咲?なんでここに……」
望と入れ違いに飛び込んできた光咲は興奮したように身を乗り出した。
「怪我、大丈夫!?ビックリしたんだから!邪と殴り合いして運ばれたって……!沖野君に連絡入って……!!」
「沖野?スマン、何がどうなったんだ?」
「あ、ごめん、えっとね……」
光咲によると、昨夜、一真を探しに外に出たら彰二に出会い、二人で一真を探し回っていたらしい。
町内を手分けして探しても見つからず、他の隊に連絡を取っても誰も目撃していない。
ついには槻宮学園にも確認したらしい。
どうしようかと途方に暮れ、町内の猫又達に捜索願を出していたら、他の補佐から連絡が入ったのだという。
「詩織ちゃんは面会謝絶中だし、城田先輩は血まみれで忙しそうにしてるし、一真君もさっきまで面会謝絶だったし……!先生も、お母さん達も何にも教えてくれないし……!このまま二人とも起きなかったら、どうしようって思ったんだから……!」
「それは……スマン……」
「ホントによかったよぉ……!」
光咲はベッドサイドの椅子にペタンと腰を下ろした。
「それより、お前こそ大丈夫なのか?」
一真は病室の外を窺い、声を落とした。
「沖野ってことは、鎮守に関わったんだろ?覚醒しちまったら……」
「いいの!」
吹っ切れたように笑い、光咲は一枚のプリントを鞄から引っ張り出した。
「現衆修練申込書」と書かれたそれには、署名と乾いたばかりの朱色の印が押されていた。
「修業の申込書。参加しようかなって……」
「いいのか?覚醒するの嫌がってたんじゃ……」
「今でも怖いけど……。これは、私の一部だから……。逃げてばかりいちゃ、ダメかなって」
そう言って笑う光咲の右手の平には薄い墨汁で描かれたような円が浮かんでいる。
「そっか……。じゃあ、オレも決めなくちゃな……」
右手を握り締めると、甲に浮かんだ紋が淡い碧に光った。
考える必要はない。心はとっくに決まっている。
「うん!あ、でも、怪我治ってからにしなくちゃダメだよ!?」
「わかってるって」

朝陽が差し込む病室に明るい笑い声が響いた。



―春宵の邂逅 終―