春宵の邂逅

32話



赤い閃光が薙いだ。
「おのれっ」
鏡面が身をよじり、後ろに跳ぶ。
望は膝をつき、小さく呻いた。
「アンタ、その肩……!札とか貼らねえと……!」
「よく聞いてください」
有無を言わさぬ迫力に一真は言葉を呑み込んだ。
「僕が鏡面を押さえます。動きが止まったら、一真君は奴の仮面を引き剥がしてください。手に霊力を集中すれば、奴の霊体だけを引きずり出せます……」
「待てよ!それって……!!」
「任せましたよ」
こちらを振り向きもせず、望は刀を構えた。
(え……?)
望が手にした得物を思わず凝視する。
確認する間もなく刀が赤く染まった。
鏡面が両の刃を光らせて迫る。

ボッ

一閃させた刀が掠り、鉤爪が炎に包まれた。
「邪魔だてするでない!」
右の刃が白く光った。
「退かぬか。これ以上は、いかに一門の霊筋とて容赦はせぬ」
「大人しく退くと思いますか……?」
鏡面の刃を望は正面から受け止めた。
鮮血が散る左肩に気づいていないように刀を続けざまに繰り出す。
(スゲエ……)
鉤爪を封じているとはいえ、突き出される刃を次々に捌いていく。
動きを目で追うのがやっとだ。
とてもではないが、加勢できるような戦いではない。
いや、下手な加勢は望の足を引っ張るだけだ。
邪との戦いの経験はなくても、それくらいはわかる――。
(クソ……!)
拳を握りしめ、奥歯を噛みしめた。
どうして、ボロボロになって戦っているのが自分ではないのだろう。
どうして、後ろに下がって見ているだけしかできないのだろう。
とり憑かれているのは妹の詩織だというのに――!

ギィン!

双方の刃が離れた隙に、鏡面が炎の消えない左手を薙いだ。
腕を狙ったそれを望は間一髪でかわし、更に踏み込んだ。

ドッ

赤い光が鳩尾を突いた。
「効かぬわ……!」
鏡面が振り上げた右腕が望を襲う――。
「先輩!」
振り下ろされた刃が赤茶の髪を揺らし――、痙攣するようにビクリと震えた。
「が、あ……あ……」
鳩尾から赤い光が伸びて広がり、鏡面の全身へ伸びていく。
初めて鏡面が苦悶の声を上げ、片膝を突いた。
「まだ、これほどの霊力を残しておったか……」
「いくら強力でも……」
望の手元で力強く赤が燃えた。
突き立てられた刀が深紅に染まる。
「金属性である以上、火属性の霊力を大量に叩き込まれれば動きは鈍る……!僕の霊力があなたの動きを封じられるほど残っているかどうかは賭けでしたけどね……!」
「それでこそ、一門の霊筋よ……!だが、小細工もそこまで……」
右腕がビキリと音を立てた。
刃が蛇のように変化し、深紅に燃える刀に絡みついた。
「その両の手ごと霊力を封じてしまえば良いだけのこと……」
絡みついた蛇が白く光り――、
「なに!?」
蛇が真っ赤に染まった。
分断されたように、ボタボタと地面に落ちていく。
「残念でしたね……。その手はもう通じません……!」
淡々とした口調からは疲労の色は窺えない。
だが、こめかみを伝う大量の汗が、パーカーを染めていく未だに止まらない血が、望の消耗が大きいことを告げている。
「一真君……!」
「ああ!」
手に霊力を集め、飛び出す。
仮面の両端を握り締めた。

バチッ

手の平で白い火花が散った。
背中が熱いのは、ジャケットの裏に貼った霊符に同じ現象が起きているからだろう。
薄い手袋のように包む赤い光と仮面を縁取る白い光が手の中で反発しあう。
「く、う、ぐ…………!」
仮面は一ミリも動かない。
顔に吸いついているというより、顔と仮面が同化しているようだ。
「感じる……、感じるぞ……!この猛き霊力!やはり、そなた……一門の子弟であったか……!」
「あァ!?訳わかんねェことほざいてんじゃねェぞ、コラ!!」
仮面が角度を変えた。
磨かれたような表面に自分の顔が映る。
構わず、一真はさらに手に霊力を集めた。
あの消耗では望が抑えていられるのは、それほど長くないはず。
急がなければ――。
「クソ、とっとと離れやがれ!!」
火花が激しく散った。
赤い紙片がパラパラと落ちていく。
「ぐう、うぅ……」
符が四散するなり、仮面から滲む白い光が手に突き刺さった。
あの紙切れがどれだけ強い力を持っていたのかを痛感する。
包帯は真っ赤に染まり、かろうじてそれ以上の出血が抑えられているのは、手の周りで淡く光る青い粒子が傷を塞いでいくからにすぎない。
ピシリ、とシャツの裏側で音がした。
――マズイ……!!
青い光が急激に少なくなり、斬りつけられているような痛みが走る。
笑い声が頭に響いた。
「その程度の木の霊気では妾を鎮めることはできぬ。もうすぐ、そこの鎮守も力尽きよう。諦めよ……」
「うる、せェ……!」
怒りを噛み殺し、霊力をかき集める。
どれだけ霊力を集めても、仮面はビクともしない。
手から血が溢れ、仮面の縁を伝った。
「奴の言葉に……、惑わされないで……」
僅かにこちらを見た望は青ざめていた。
広がった血が肩だけに止まらず、背中にまで及んでいた。
「大丈夫……、一真君ならやれますよ……」
ドクリ、と魂の深淵――、無意識の闇が脈打った。

『大丈夫……、あなたならできます。自分の霊筋を信じてください……』

記憶の底から「望」の声が聴こえた。
強烈な眩暈の後に脳裏で何かが閃いた。
「あ……」
瞬間、頭が真っ白になった。
望が、鏡面が、詩織が、橋が、全てが意識から消える。

代わりに広がったのは――、崩れていく足元と、荒れ狂う空。
息を切らせて辿り着いた先で――、色を失った戦装束が鮮血に染まっていた――。
『……様……?』
カラカラに乾いた自分の声が耳の奥で反響した。
追い縋った手は届かずに――、

「……ッ……!」

――仲間達が喪われていくのに、どうして、自分は無事でいる――?
――彼らの盾になるべきは自分なのに――。

右手がドクドクと脈打ち、碧の光が集結した。
「その紋……!そなた……!?」
右手の甲を碧がギザギザに横切り、模様を形作った。
それは、時代劇で目にする、「だんだら模様」を縁取ったようにも見えた――。
鏡面に映った自分の眼が碧に染まる。
体の奥から溢れてくる霊力を両手に集結し、仮面の金の気を抑え込む。
「う……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」
右の甲で紋が碧を放つ。
指が鉄の仮面にのめり込んだ。
碧の光が仮面を染め、白い気を完全に封じ込んだ。
音もなく、拍子抜けするほどあっさりと仮面が外れた。
それでも止まらず、両手で碧が燃え上った。
「おにい……ちゃん……」
虚ろな瞳と小さな呟きに我に返る。
「しおり……」
急速に力が抜けた。
脚がガクリと崩れ、膝をつく。
仮面が手から滑り落ちた。
瞼が閉じ、小さな体が揺れた。
望が素早く倒れてくる細い体を受け止めた。
「詩織!先輩、詩織は!?」
重い体を引きずるようにして這った。
手も足も鉛のように重い。
「大丈夫――」
安堵させるように微笑み、望は詩織の手に木札を握らせ、そっと横たえた。
「霊体が消耗しているだけ――」
立ち上がったその眼が一真の後方を鋭く射ぬいた。
異様な霊気に一真もまた振り返る。
「なんと良き日じゃ……。一門の者が、かような地に二人も集っておったとは……」
鏡面がふよふよと浮かんでいた。
一真が掴んでいた両端は折れ曲がり、碧の火花が散っている。
指が貫通した穴から向こうの景色が透けた。
「確かめねば……。あのお方が御所望されるは、どの霊筋じゃったか……のう……」
鏡の面に一真と望、二人の姿が映る。
中央の瑪瑙が光を放ち、仮面に白いノイズが走る。
仮面が黒く染まり――、右頬を赤い光が貫いた。
「もう……いいでしょう……!」
肩で息をしながら、望は刀を退き、再び突いた。
赤い光が左頬を貫く。
「鎮まりなさい……!」

パリンッ

音を立てて鏡が割れた。
「くく、あははははは、ははははははははははは!」
破片を地面にまき散らしながら、鏡面は笑った。
仮面の鉄が剥がれ落ち、真ん中に埋め込まれていた瑪瑙だけが宙に浮かんだ。
「良き日じゃ!ほんに良き日じゃのう!なあ、なああ!そうは思わぬか………………」
嘲笑っているようにも、狂喜しているようにも聴こえた。
「く……」
望が刀を突き出そうとして――、手を止めた。
瑪瑙が光を失い、砕け散った。
望の手の中では刀が木炭に変わり、崩れ落ちていく。
そう、彼は途中から打ち刀ではなく木刀で戦っていた。

‘思わぬか……?なあ、思わぬかあぁ……’

鏡面を構成していた全てが砕け散った後も、断末魔の笑い声が橋の上に反響し続けていた。