春宵の邂逅

28話



「いけない!すぐに戻って!」
『組長?』
「それは囮です!本体はまだ、橋の傍に……」
言葉を切り、望は水晶を眺めた。
横顔に微かな孤独が浮かんだ。
『組長!戻れば宜しいので!?』
「橋の付近の結界は解除していますか?」
『いや、固定したままになってるはずだ。おい、そうだよな!?』
横にいるだろう誰かが肯定の返事をしているのが聞こえた。
望は頷いた。
「わかりました。僕が直接斬り込みます。皆は、外側から重ねて結界を。できるだけ強力なものを張ってください。出入り口はいりません。僕が鎮めている間、邪が逃げる隙間を作らないようにお願いします」
『……了解。無茶すんなよ?』
黄色い光が消えた。
五芒星の赤が解け、元の水晶に戻っていく。
「先輩……」
「ごめん……、今すぐここを出てくれる?」
「鎮守役」の顔で望は振り向いた。
「何するつもりなんだ……?」
「結界を拡大して邪を包囲網ごと隔離します。邪のところへ行くには包囲網を強制解除するしかないけど……。邪を相手にしながら結界に出口を作るのは無理です。今のうちに外に……」
「待ってくれよ!だったら、オレも一緒に行くぜ!そのためにテストしたんじゃなかったのかよ!?」
「あくまで補佐が結界内にいるのが前提です。僕一人じゃ、危険だと判断しても君を避難させるのは難し……」
「ざっけんなよ!!」
思わず胸倉を掴んだ。
周りで風が渦巻いた。
「アンタからしたら、オレは非力な一般人かもしれねェけどな……!オレからしたら、アンタは怪我人なんだよ!片腕もまともに動かねェような奴一人で突っ込ませといて、外でゆっくり待ってられるわけねェだろが!!それに……、詩織はオレの妹だ!怪我人に任せるくらいなら、オレ一人でも突っ込む!」
「いい加減にしてください!!」
一真の手を振り切り、望は怒鳴り返した。
瞳が赤を帯び、彼の周りが熱を帯びる。
「何にも知らないのに、滅茶苦茶なことを言わないでください!とり憑かれた妹さんを見たでしょう!?今の彼女には兄弟の声なんて届きません!兄だからっていう甘えは通じないんですよ!妹だ、なんて言っている間に殺されるだけです!どれだけ邪を侮ったら気が済むんです!?」
「んなもん、わかってるし、侮ってもいねェ!!それでもなあ!ジッとしてろっていうほうが無理なんだよ!!アンタだって、姉貴いるんだろ!?ダチや家族がとり憑かれたら、同じこと思うんじゃねェのかよ!?」
ギリッと奥歯を噛み締める音がした。
何かを耐えるように望は歯を食いしばり、ブレスレットに手をやった。
その手に日本刀が出現する。
鼻先を熱風が掠めた。
「……これが最後です。結界から出てください……!」
いつの間に抜いたのか、切っ先が鼻の先に突きつけられていた。
「出ねェって言ったら?」
「……力づくで叩き出します」
「じゃあ、オレは……」
一真は右の手の平を突き出した。
碧の風が手の平に集結する。
琥珀の瞳が揺れた。
「叩き出される前にアンタを撃つ――。ぶっ放し方は、さっき見せてもらったからな。この距離なら外さねェぜ?」
「……僕を撃って、妹さんをどうやって助けるつもりです?」
「その場で考えるっきゃねェだろな。やり方なんて知らねェけど、ようは、邪を引き剥がしちまえばいいんだろ?」
琥珀色と鳶色の瞳がぶつかり合った。
先に逸らしたのは望だった。
自らを落ち着けるように、長く息を吐き出し、ポツリと呟いた。
「勝手にしてください……。死んでも知りませんから」
「へ、そんな簡単に死なねェよ」
刀を収め、望は橋へ向けて歩き始めた。
少し遅れて後に続く。
「……妹さんと邪は金の霊気。木属性の霊気の一真君にとって、相性が最悪の相手です。くれぐれも突っ込まないようにしてください」
淡々とした口調だが怒気はない。
少しホッとして横に並ぶ。
望はチラリとこちらを見たが、特に気分を害した様子はなかった。
(根に持つタイプじゃなさそうだな……)
胸を撫で下ろす。
人の好き嫌いが少ない一真だが、いつまでも引きずり続ける奴はどうにも苦手だ。
一真自身が怒りを発散したらすぐに機嫌が直るタイプだけに、相手がいつまでも引きずっていたりすると、話しかけるタイミングが掴めない。
「それ、さっきも言ってたっけな。どーいう意味なんだ?」
「五行相克っていって……」
何かを思い出したように望は言葉を切った。
「……わかりやすく言えば、木の霊気の人は金の霊気の人に攻撃されるとダメージが大きいから防御に専念してください。一真君の攻撃も効きにくいですから、前に出過ぎないように……って、どうして嬉しそうなんです?」
「オレが攻撃しても、詩織はあんま痛くねェってことだろ?安心したっていうか……」
「前向きだなあ……。邪に対してもダメージを与えにくいってことですよ……」
橋のすぐ近くで望は立ち止まった。
すぐ前を、うっすらとした赤い光が下に滑っていく。
「これって……」
「結界の端ですよ。僕が張った結界はここまで。この先は補佐が作ってくれた包囲網です。まず、結界を広げないと……」
ブレスレットから霊符を三枚取り出した。
軽く撫でられた符に赤い光が灯る。
「両方の手の平と背中に貼っておいてください。手は包帯の上からで大丈夫。背中はジャケットの裏あたりに」
「さっき使ってたのとちょっと違うな……」
サイズは変わらないが、色が真っ赤だ。
望や彰二が使っていた白いものとは随分と違う。
「十二天じゃなくて、十干の……。金の気対策と思っておいてください」
「……説明したいんだったら聞くぜ?たぶん、意味分からねェけど……」
「じゃあ、今度、神社に来てください。じっくり講義してあげるから」
「や、あんま本格的なのはちょっと……」
ジャケットを脱いで符を貼り付けている間、望は瞼を閉じ、額を手で押さえた。

ヴヴ……、ゥ……

天井が軋み、赤がグラグラと揺れる。
「うを!?」
暗く沈んでいた橋が消え、黄色い光で覆われたドームが出現した。
宙にいくつもの霊符が浮いている。
「これが……」
「包囲網。補佐数人で作った結界ですよ。いくら強力な邪でも、これを破るには時間がかかります。囮で隊員を遠ざけておいて破るつもりだったんでしょうけど……」
「この中に詩織が……」
鯉口を切る音がした。
「包囲網を解きます。危険だと思ったら……」
「後ろに下がれ、だろ?わかってるって!」
「どうだか……」
諦めきった顔で溜息をつき、望は刀を構えた。
輪郭を赤い光が縁取る。
横目で促され、一真も慌てて体に霊力を巡らせた。
切っ先が赤く光り、黄色い光を放つ霊符の一つを軽く突いた。

ジッ

線香花火を水につけたような音がして、ドームが大きく収縮し、弾けた。
噴き出す黄色い光が視界を埋め尽くした。