春宵の邂逅

27話



ン……

風が霧を岸へと追いやった。
繰り出された拳は望の左頬スレスレで止まっていた。
「一真君……?」
困惑したような声に奥歯を噛みしめる。
――やはり、そうだった。
拳を止めしようとした右腕が間に合わずに中途半端なところで止まっている。
「アンタ……、本っっ当〜〜に嘘ヘタだよな。なにが、数時間もあれば治る、だよ……」
「え……?」
「その肩、全然治ってねェんだろ?夕方に包帯巻いていたヤツ、また開いてるよな?」
見開かれた琥珀の瞳を睨み付ける。
「……あんなの、アンタだったら十分止められたはずだぜ!?左肩がまともに動くんならな!」
沈黙が落ちた。
降参、とでもいうように長い息を吐き、望はパーカーを脱いだ。
張りつめていた空気が和らいでいく。
「怖いなあ。いつ、バレたんです?」
黒いシャツなので目立たないが、左肩に染みができていた。
鉄の匂いが微かに漂う。
「最初におかしいって思ったのは、右で不意打ちした時だよ。いくら油断してても、あんなしょぼいの食らうわけねェ。それまでの反則な動き見てたら違和感ありすぎだったぜ」
「ああ、あれか……。けっこう早くにバレてたんですね」
「気ィついたのは、もっと後だけどな……。疑い出したら、おかしいとこだらけだったぜ。いくら利き手でも、攻撃も防御も右ばっかでやってたし、オレが霊力使い出してからも右ばっかだったし……。初めに左で圧した時に、傷開いたんじゃねェかなってさ……」
「あはは、正解……。そこまでちゃんと見てるなんて思わなかったや……」
「オレ、左利きだからさ。相手の利き手って結構気になるんだよな」
「それは盲点だったな……」
望は疲れたように川の上に座った。
シャツの下の包帯は半分以上が赤く染まっている。
傷は相当深いのだろう。
取り出した符を包帯の上に貼り付けているが、どれくらい効くのだろうか。
「……つーかさ、本気で止める気なんてなかっただろ?」
「どうして?」
「あのなあ、先輩……」
どっかりと川の上に腰を下ろす。
「おかしいってんなら、初っ端からおかしすぎだぜ。だいたい、本気で止めようと思ってる奴が素手で殴りにきたりしねェよ。得物使ってど突き倒したほうが早いし、楽じゃねーか。オレだったら何も言わねェで殴り倒して、札でも貼っとくって」
「それやってもよかったけど、一真君、途中で起きて乱入してきそうだったから……。邪と戦ってる最中に隊員と場外乱闘でもされたら気が散って戦えないじゃないですか。だったら、納得してもらった方がいいかなあって……」
「スゲエ挑発されて、ひたすらしごかれてただけのような気がするけどな……」
「ご、ごめん。言葉で言っても無駄だろうから。僕が怪我してるの知ってたし、弱ってるって言っちゃったし……、あれくらい言わないと本気で殴ってこないかなって……」
「そりゃそうだけど……。でもさ、最後の火の玉はやりすぎだぜ!あんなもん、避け損ねたら死ぬじゃねェか!」
望は眼を逸らした。
「だって、いきなり霊風呼ぶから……。もしかして、天狗の転生体かもって、疑ったんですよ……。天狗は覚醒したらすぐに記憶が戻るらしいから、転生体なら風業で迎撃してくるだろうし、普通の隠人だったら防御が無理でも川に潜ってやりすごすだろうから、危険は少ないかなって……。まさか、力任せに押し返してくるなんて思わなかったけど……」
「天狗〜〜〜〜〜?」
つい最近、どこかで聞いたような単語に記憶を辿る。
(あ〜〜、そっか。あのオッサン、自分を烏天狗とか言ってたっけな……)
深く考えていなかったが、あの箒を持って掃除をしていたカラスも烏天狗というやつだったのかもしれない。
「あれって妖怪だろ?隠人と関係ないんじゃ?」
天狗という生物が本当に存在していることが驚きだが、自分がこんな超能力を使えるのだ。
天狗がいても不思議はない気がした。
冶黒のようなカラス人間が烏天狗だということは、人間バージョンもいるということだろうか。
「大ありですよ。天狗っていうのは霊獣の血が強すぎて人の世で生きられなくなった隠人なんですから」
「え、マジ!?じゃあ、霊獣の血が強くなったら、鼻が高くなって顔が赤くなるのか!?そんなんなったら、外歩けねーじゃん!」
さすがに嫌すぎる。
露骨に顔をしかめると、望は呆れたような顔をした。
「そんな怖いことあるわけないじゃないですか。隠人から霊山に入った天狗は皆、普通の外見ですよ。神通力を使う天狗の中でも、霊風は戦いを生業にする集団・宵闇の証でもあるんです。普通は天狗道に入らないと霊風なんて扱えないんですよ」
「んなこと言ったって、フツーに使えたぜ?それに、先輩も霊風使ってたじゃねェか。あの赤い風、そうなんだろ?」
望は寂しそうに笑った。
「……だから、『化け物』なんですよ。僕も、最初は天狗の転生体を疑われました。違うってわかってからは、現衆の他の組は腫れ物に触るような扱いですよ……。霊山も本当は扱いに困っています。体の中に潜んでいるのは、霊獣じゃなくて、大昔に宵闇に封印された化け物なんじゃないか、ってね……」
どう声をかけていいかわからず、一真は鼻の頭を掻いた。
「えっと、合格でいいんだよな?あれ、本当はテストだったんだろ?一緒に連れて行ってもいいかどうかの……」
「え、それもバレてたの!?」
「わかるって……。さりげなく霊力の使い方アドバイスしてたし、わざわざ川の流れが緩いとこに投げてたし……。アンタ、悪役向いてねェよ。つーか、芝居とかやめといたほうがいいって。バレバレだからさ」
はあっと望は膝を抱えた。
「これでも、お芝居は自信あったんだけどなあ……」
「どこが!?」
「……怪我を見破られたことはなかったですよ……。一部の例外を除いて……」
「ま、まあ、オレは最初から知ってたし。しょーがないんじゃね?」
かなり凹んでいるので、フォローしておく。
「で、どうなんだ?オレも行っていいのか?」
パーカーを羽織り、望は空を見上げた。
「そうだなぁ。今度、我を忘れて邪魔したら問答無用で黙らせるけど、それで文句がないなら、ついてきてもいいですよ」
「う……。あれは……、さすがに懲りたって……。でもよ、実際、どうなんだよ?鎮守様が隠人も退治するって噂あるみてーだけど……」
「今回みたいに巣食われた隠人から邪を叩きだすのはしょっちゅうです。でも、退治するのは邪だけですよ。だいたい、隠人ももろともに倒してたら死傷者続出じゃないですか。大騒ぎになりますよ」
「そ、それもそーだよな……」
あれはただの噂だったようだ。
詩織を助けたら、光咲に教えてやらなければ。
「もう一つ。補佐にも一緒に現場に入ってもらいますけど、彼らの指示に従ってください。退くように指示されたら、とにかく退く。守れますか?」
「わかってるって!補佐のヤツ殴り倒したりしねェから安心してくれよ!」
「……本当?信じるからね?」
「お、おう……」
かなり真面目な目で念を押し、望は橋の向こうを見やった。
「それで?詩織は橋の近くにいるんだよな?」
「そのはずですけど……。おおまかな場所はわかってるのに時間かかってるなあ……。あれ?どうして離れていってるんだろ……?」
眉を顰め、望はペンダントを手にした。
透明な水晶の中で赤い光が五芒星を描く。
「城田です。包囲網はどうなっていますか?」
水晶の中に黄色い光がポツッと灯った。
望が軽く水晶を撫でた。
耳の奥で声が聞こえた。
『関戸です。組長、一般人の説得は、もう宜しいんで?』
返信してきた隊員の名は知っているものだった。
(番長も隠人だったのか……)
この町の住人だ。
隠人でも不思議はない。
いや、もうここまできてしまっては、誰が隠人でも驚かないだろう。
「無事に終わりました。それより、何かありましたか?」
『それが、どうやりやがったか、包囲網を抜けやがったんですよ。今、集会所の傍で……、おい!そこだ!符を用意しろ!!』
傍にいる隊員に指示しているのだろう。
その追われているのが妹だと思うと、今すぐ走って行って関戸達を殴り倒してやりたい衝動が襲ったが、耐える。
彼らが追っているのは邪であって、詩織ではないのだから。
「抜けた?」
望は立ち上がり橋を凝視した。
何やら大変なことが起きているようなので、一真も立ち上がって橋を眺めてみる。
(……同じにしか見えん……)
相変わらず、赤い光が流れる向こうに黒い影が霞んでいるだけだ。
何かに気づいたように望は顔を強張らせた。