春宵の邂逅

25話



壁の風が渦巻き、水を巻き上げた。
体の奥から吹き上げてくる力に逆らわず受け入れると、右手の甲が碧に光り、熱を放つ。
ガラリと視界が変わった。
空を覆う赤は絶え間なく瀬を流れる水のように流れ、地に落ちていった。
水が、木々が、土の匂いが、全てが感覚に触れ、語りかけてくる。
唸りを上げる風は空を渡るものではなく、自分の内側から聴こえてきていた。
一真は身を起こし、軽く頭を振った。
ほんの一瞬、白昼夢を見たような気がする。
とてつもなく大事なことを話していた気がするが、何も覚えていない。
手を、足を、体の輪郭をなぞるように緑の光が縁取っている。
今ならば、川の上に立つくらい訳もない気がした。
「よ、っと……」
スニーカーが川面を踏みつけた。
ガラス版の上に立っているように、足元では変わらず水が流れていく。
「へェ、瞬間移動までいかねーけど便利じゃねェか……」
振り向いた先で赤い光が揺れた。
「同じ場所に立ったぜ」
「驚いたな……。まさか、霊風を起こせるなんて……」
「霊風?この風のことだよな?」
冶黒もそんなことを言っていた。
それがどういう意味を指すのかはわからないが。
「……霊力によって引き起こされる風。天狗が使う神通力の一つですよ。でも、」
水面に波紋が広がった。
赤が勢いを増す。
「風を呼ぶだけじゃ、何もできません!」

トッ

赤い光が水面を奔った。
(視える……!)
さっきは目に捉えることすらできなかった動きがはっきりと視える。

ゴッ

「ぐゥう……!」
受け止めた腕が痺れ、足が水面にのめり込んだ。
視えるようになったといっても、追いつくのがやっとだ。
「今のを止めましたか……」
「ま、まあな……!」
琥珀の瞳が赤く燃えた。
「じゃあ、これはどうです?」

ボッ

拳が赤く光り、熱風が顔に吹き付けた。
「なっ!?火ィ!?」
瞬く間に拳が炎を帯びた。
受け止めた腕が熱くなり、ジャケットがジリジリと焦げる。
「いくらなんでも、は、反則だろ、これ!燃えてるって!!」
「霊力を腕に集めれば防げますよ。川の上に立つくらいなら少しの霊力で十分です。そんなに霊力が余っていれば、防御だけじゃなくて攻撃にも回せますよ。こんな風に」

ボッッ

赤い光が揺らめき、望を包んだ。
「あ、熱っっ!?」
吹き付けてくる風は一段と熱を増し、喉がジリジリと痛む。
拳を引き、望は間合いを取った。
(ヤバい……!!あれ、ぜってーーヤバい!!)
これまでと違い、明らかに何かやるつもりだ。
一真も慌てて後ろに下がった。
できる限り距離を稼ぐ。
防御しなければならないのはわかるが、やり方がわからない。
そもそも、どうやって霊力を攻撃や防御に回すのかがわからないのだ。
(そ、そうだ!力押し!力押しって言ってたよな、あのオッサン!)
赤い風が望を中心に渦巻いた。
風の中にチリチリと光る火の粉が遊ぶ。

“風よ!我が意に従え!!”

瞳が深紅に燃え上がる。
赤風が突き出された右の掌に凝縮した。
かなりの距離を取っているのに、巨大な焚き木のすぐ傍にいるように顔や髪が熱い。
ずぶ濡れの髪から滴り落ちていた水滴がカラカラに乾いていく。

“撃て……!焔弾!!”

ドウンッ

大砲のような音を立て、掌から風を帯びた炎の弾が放たれた。
赤々と燃える炎に暗い川面が照らされ、川底までもが透けた。
「く……!」
こめかみを伝う汗を拭う間もなく、一真は拳を握りしめた。
あんな火の玉、受け止めるのは無理だ。
かわすしかない。
周りは水だらけ――、潜れば難なく逃れられるだろう。
だが、それでは逃げているだけだ。
何の解決にもならないし、そんなことでは望を納得させられないだろう。
なにより、挑まれたのならば――、

「受けて立ってやるぜええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」

拳にありったけの気合を込め、思い切り叩きつけた。
火の弾ではなく、足元の水面に向かって。
水中に潜った碧の風が水を巻き上げ、数歩前に水と風が入り混じった壁を造り出す。
火の玉が水壁に直撃した。

ドグオオォオオオオオオオオン……

「げっ!?」
「うっ!?」
爆風が叩きつけた。
水蒸気が濃霧となって視界を覆う。
衝撃が川面を波立て、激しく上下させる。
足元が熱いのは、水面近くの水温が急上昇しているためだろう。
舞い上がった水が雨となって落ち、水しぶきを上げた。
もうもうと立ち込める水蒸気に二人の姿は完全に呑まれた。