春宵の邂逅

20話



(湯気がなくなってきてるな……)
人も車も少なくなってきた大通りを走りながら一真は苛立ちを噛み殺した。
邪跡を見つける目印にしてきた湯気が随分と薄くなってきている。
どうやら、邪跡というものは時間が経つと消えてしまうらしい。
あるいは、鎮守隊が消しているのか。
(にしても、さっきから変なモンがうろついてるな……)
人が立っているのかと思ったら、祭りで売っているお面のようなものが浮かんでいたり、前から誰かが来たと思ったら、時代錯誤な着物を着た幽霊のような奴だったりと、とにかく普通ではない。
しかし、歩道を行く人々はお面や幽霊に気づいた様子もなく通り抜けていく。
経った今も、一真の横を自転車で通っていったサラリーマンが幽霊に正面から突っ込んですり抜けて行った。
どちらも全くに気止めた様子はない。
(まあ、いっか……)
不気味だが害はなさそうだ。
襲ってくるならばともかく、無害ならば、犬や猫とすれ違ったのとそれほど変わらないだろう、たぶん。
「沖野以外の奴にも会わねェな……」
他にも待ち伏せている隊員がいると思って警戒していたが、あれ以来、誰にも会っていない。
次に誰かが襲ってきたら殴り倒して詩織のことを聞き出そうと思っていたのだが。
(とにかく、邪跡を追っかけるしかねー……ん?)
前方からやってくる黒い一行に一真は足を止めた。

‘ほっほっほ、さすが霊力を秘めた浅城じゃ!いつ来ても邪跡と邪気で溢れ返っておる’

ジジ臭い口調で声を張り上げたのは、時代錯誤甚だしい上着――、戦国時代の陣羽織のようにも見える――を身につけた――、
(か、カラス!?カラスなのか!?)
思わず瞬きを繰り返すが、視えている物は変わらない。
陣羽織を羽織った胴体の上についているのは、人の頭と同じくらいの大きさのカラスの頭だ。
一行はこれまですれ違った幽霊のような奴とは違い、存在感がちゃんとある。
それなのに、皆、半透明で他の通行人は誰一人気にしていない。
(親父より年いってそうだけど、ジイちゃんよりはいってねーだろな……。教頭くらいか?)
ジジイな口調のくせに若い声だ。
カラスなので実年齢は人間とは違うのだろうけれど。
異形の一行に、頭がかなりどうでもいいことを考える。
いわゆる、現実逃避というやつだ。
カラス男は一真に気を留める様子もなく、錫杖を振り上げた。
シャランと輪が鳴り、通行人達が一人、また一人と別の方向へと向きを変えていく。
一分も経たないうちに、大通りには人も車もなくなった。
‘さっそく、鎮守殿に加勢するとしようかの。用意はよいか、皆の衆?’
‘は、冶黒様!!’
後ろについてきていたカラス男の集団がどこから取り出したのか、箒を振り上げた。
こちらは、修験者のような格好に背中から羽を生やしている。
陣羽織よりもずっとカラスらしい外見だ。
一行は一真を気にする様子もなく、わらわらと散らばった。

‘清めろ、清めろ、蛇の道はいらぬ……。邪を呼ぶ前に、清めてしまえ’

妙な唄を調子を合わせて口ずさみながら、カラス男達は、こともあろうか邪跡を掃きはじめた。
箒が触れた邪跡はみるみる小さくなっていく。
陣羽織は満足げに頷き、どこから取り出したのか、扇をバサッと開いた。
‘ほっほっほ、良い調子じゃ、皆の衆〜〜〜!’
「何やってんだ、テメエえええええええええええええええええ!!」
‘ぶげほっっっ!?’
一真の左アッパーが陣羽織の顔面に炸裂した。
せっせと箒を動かしていた修験者カラス達が唖然とした様子で手を止めてこちらを凝視した。
‘な、何をするのじゃ……’
「それはこっちのセリフだ……!」
やや乙女チックなポーズで頬を押さえている陣羽織の胸倉を掴み、睨み付ける。
「人が邪跡追っかけてんのに、気楽なツラして消してんじゃねェぞ、コラ……」
‘お、落ち着かれよ、少年……。目が血走っておるぞ……’
「やかましい……。こっちは切羽詰ってんだよ……」
‘し、しかし、ワシらが視える上に、人払いの術も効いておらんとは……。せっかく忍んでおったのに、いきなり格の高い奴と出会ってしもうたものじゃのう……’
「隠れたいんだったら、大通りのど真ん中で掃除大会やってんじゃねェ……。木のてっぺんでやりやがれ……」

‘た、大変じゃ!冶黒様が!!’
‘凶暴な人間に襲われておられるぞ……!!’
‘か、カツアゲじゃ!あれが現で流行っておるというカツアゲに違いない!!’
‘な、なんと!ガラの悪い地域に生息しておる「不良」が行うという、賊の所業か!?’
‘は、早くお助けせねば……!’

我に返った修験者カラス達は箒を手に、こちらに突進してきた。
背丈は一真の胸あたりとはいえ、地上だけでなく頭上からも襲われると流石に分が悪い。
しかし、今の一真は虫の居所がとにかく悪かった。
「……るっせええええええええええ!むしって丸焼きにすんぞ、ッラアアアアァ!」
内側から湧き上がる何かを怒りと共にぶちまける。

ゴオウッ

一真を中心に巻き起こった碧の突風がカラス男達を吹き飛ばした。

‘風じゃ、風じゃ!こやつ、風を操りおったぞ!!’
‘ただの風ではない!これは霊風じゃああああ!!’
‘まさか霊山縁の者か!?そうでもなくば、化け物じゃぞ!?’

なす術もなく道路に転がるカラス男に、一真自身も驚いていた。
「何だ……、今の……」
‘霊風。霊力によって巻き起こされた風じゃ。それにしても、なんと猛々しい風か……。ワシの霊気を怖れぬ気性といい、まさに狼の霊筋そのものじゃのう’
カラスは先ほどとは打って変わって落ち着き払った様子で言った。
‘のう、そなた。もしや、鎮守役の城田殿か?’
「あァ?」
‘ほっほっほ、ワシの目はごまかせんぞ。この町には現在、鎮守役は一人と聞いておる。それほどまでに格が高く、霊風まで扱えるとなれば、現きっての天才児・城田望殿をおいて他におるまい’
陣羽織は偉そうにフッと息をついた。
‘当代の西組鎮守役主座・城田望殿といえば、未だ半覚醒とはいえ、その実力は既に宵闇と同等とまで謳われる稀代の天才。その名は京にまで届き、総本山も大いに期待しておる霊狼と聞いておるが……、ワシの正体も見抜けぬようでは、まだまだじゃのう。この、信濃霊山の烏天狗・冶黒をのう!’
「…………天狗……?」
脳裏に赤い顔で茄子のような鼻をした高下駄のオヤジが過った。
(……イメージとかなり違うが……、新手のゆるキャラか……?)
頭の上に「?」を浮かべる一真に構わず、妙にデカい態度で冶黒とやらは、胸倉を掴まれたままふんぞり返り、錫杖で一真の肩をポンポンと叩いた。
ムカつくのは焦っているからだけではないだろう。
‘なに、案じられますな。非礼を咎めたりはせん。若いうちは、これほど元気があるほうがよろしかろうて。まして、この武蔵国は狼の地じゃ。狼のご霊筋は、荒々しい者が多いからのう。高位の狼ともなれば、望殿のそのご気性も道理。ただ、主座となられた以上は、あと少し、礼を身につけられるがよろしかろう。煩い輩もおりますからのう’

――こんの、クソガラス……

一真はカラスの頭に頭突きを炸裂させなかった自分を大いに褒めた。
「……まだまだなのは、テメーだろーが……」
怒りに震える自分を必死に宥める。
「よく聞け、カラスヤロー……。オレの名前は、さ・い・き・か・ず・ま。覚醒してるかどうかもわからねェし、鎮守にだって参加してねェ。ついでに言えば、今から鎮守に話つけに行くとこだ」
‘は……?’
すうっと息を吸い込んだ。
「オレは鎮守じゃねェっつってんだ!クソガラス!」
「なんとっ!?」
半ば透けていたカラスの姿が鮮明になった。
‘や、冶黒様!’
‘隠れ身の術が解けております!’
‘お気を確かに!’
部下のカラスがワキャワキャと騒ぐが、冶黒はパクパクと嘴を上下させている。
「ったくよ、クソ偉そうに人違いしてんじゃねーよ……。邪跡消してやがるし……」
これで詩織を追う手がかりがなくなってしまった。
町内を一人で探し回っていたら、夜が明けてしまう。
いや、まだ手がかりは完全に途絶えたわけではない。
「カラスのオッサン……。さっき邪跡消してたってことは、あれがどこから来てたか知ってるってことだよな?」
「む、むろん、知っておるが……。そんなものを知ってどうするのじゃ……?邪跡を辿れば、その先には邪がおるぞ?」
「その邪に用があんだよ」
「何と無謀なことを……。いくら格が高いとはいえ、鎮守に参加しておらんのに邪に会いに行くなど危険極まりない。わかっておるか?」
「チッ」
――鳥に期待したオレが間違ってたぜ……
乱暴に手を離すと、素早い身のこなしで着地した冶黒が慌てて声をかけた。
「こ、これ!どこへ行く?」
「グダグダ話してる時間がもったいねェ!どけよ、ザコ!」
苛立ち紛れに、道を塞いでいたカラスを一喝する。
先ほどの風が効いたのか、カラス達が我先にと道を開けた。
「そっちではない。南じゃ」
「あぁ?」
錫杖を構え、冶黒は何かを探るように瞼を閉じた。
杖の先で金属の輪がひとりでに転がり、カラカラと音を立てた。
「町の南西……、金の気をもつ橋の傍に強烈な金属性の邪が潜んでおるようじゃ……。邪気が霊気にまとわりついて鬩ぎあっておる……。隠人が巣食われておるのじゃろう……」
「ほ、ホントか!?」
カラスの黒い目がきょろりと動いた。
「斎木、と言うたな。その高い霊格と狼の霊筋……そなた、誠の匠……、斎木伸真殿の身内じゃろう?」
「ジイちゃんを知ってんのか?」
カラス達が一斉にざわついた。

‘なんと、孫殿じゃぞ!’
‘匠の孫殿が非行に走っておるぞ!’
‘不良じゃ!孫殿は不良じゃぞ!’
‘跡取がこれでは、マズイのではないか!?’
‘いや、これは孫じゃ!ご子息がまだおられたはず……!’
‘そうじゃ、ご子息がまともならば、孫が不良でもなんとかなるやも……!’

「絞めんぞ、テメーら……」
外野を黙らせ、一真は冶黒に向き直った。
「アンタ、ジイちゃんの知り合いか?」
「古い馴染みの一人、というておこうかの。そうでなくとも、『武蔵国の誠の匠』といえば霊山で知らぬ者はおらぬ。『武蔵国の斎木一門』は霊刀を打たせれば、東国で右に出る者がおらんと称されるほどの名門じゃ」
「うちが?」
そんな話は初耳だ。
望も「匠」がどうとか言っていた。町内で根付いたあだ名のようなものだと思っていたが。
「さよう。確か、当代の匠には未だ覚醒しておらぬ孫が二人おられると聞いておったが。そなたが血相を変えて邪跡を追っておるということは、巣食われておる隠人もまた、匠と縁ある者ではないか?」
「……妹だ」
冶黒は「そうか」と重々しく呟き、瞼を閉じた。
「既に橋の付近には鎮守の者が集結しておるが、結界は安定しきっておらん。あちらもまだ邪の居場所を特定できておらんのじゃろう。この大きな邪気といい、相当手強い奴に巣食われたようじゃのう。……肝心の鎮守役殿の霊気は感じぬが……」
「どういうことだよ!?やられちまったなんて言わねェよな!?」
「まあ待て。鎮守印の霊気は正常じゃ。健在であろう。恐らく、邪に勘付かれぬよう気を消しておるのじゃな。それにしても、この近距離でワシに霊気を悟らせんとは……。噂に違わぬ使い手じゃのう……」
瞼を上げ、冶黒は手の平を広げた。
ひらりと葉が舞うように一枚の符が出現する。
「治癒の札じゃ。服の裏側にでも貼っておけ。邪と戦うにしろ、鎮守の者と事を構えるにせよ、力の使い方を知らぬままでは無事では済むまい……」
「止めるんじゃなかったのかよ?」
「そのような事情では止めるだけ無駄じゃ。ワシら全員を殴り倒してでも行くつもりじゃろ?」
「へえ、わかってるじゃねェか」
このジジ臭いカラスをかなり見直した。
「よいか?霊力とは霊体の力、魂の力じゃ。己の魂が赴くままに力を解放するのじゃ。先ほどの霊風のように」
「せっかくアドバイスしてくれてるけどさ……。どーやったかなんてわからねェよ……」
冶黒は「さもあろう」と頷いた。
「今のそなたは、霊力は大きくても律する術を知らぬ。邪にしろ、人間にしろ、術者と戦うには霊力に物を言わせた力押ししかあるまい……。心を研ぎ澄まして風を聴き、内なる意志を高め、己の内に住まう獣を呼び起こすのじゃ。全身に気を巡らせ魂と肉体を一体化させることで、霊獣の力を発現させることができる」
「ようはあれだろ?気合入れろってことだよな?」
「うぬう……、間違っておらぬが、何かが違うのう……」
やや不満そうな冶黒から青く光る符を受け取り、一真は小さく頭を下げた。
「サンキュな。助かったぜ」
「あーー、礼には及ばん……。それより、近うに……」
耳元でボソボソと呟かれたそれに、一真はニヤっと笑い、グッと親指を立てた。
「りょーかい。他の奴には黙っとくって」
「か、必ずじゃぞ!信じておるからな!!」
「ああ!えっと、冶黒だっけか!ぶん殴って悪かったな!じゃーな!!」
軽く手を上げ、一真は町外れに向かい走り出した。


‘冶黒様、よろしいので?’
‘構わん、構わん’
再び姿を隠し、冶黒は笑った。
‘この激戦区で、鎮守役殿が孤軍奮闘のあまり疲弊しきっておるというから案じておったが……、なんとも面白い男がおるではないか……。あれは、まさに野分の芽……。今に霊山に通ずる颶風となろう……’
黒い目がきょろりと動いた。

‘風を見極めるのも鎮守役の器量……。あの若い野分、そなたはどう御しますかな、西組主座殿?’