春宵の邂逅

19話



「私……、間違えてたのかな……?」

あの後―――。
神社から連絡が入ったのだろう。
暫くして社務所にやってきた母から、自分の家が隠人の家系だと聞いた。
自分だけではなく、恐らく妹も隠人だということも。
七不思議だと思っていた「鎮守様」が目の前にいる少年で、「蛇」が実在するということも。
同席した望から隠人の説明も受けた。
通常の覚醒は霊体が先に力を増し、霊格が短時間で高低を繰り返し、器である肉体は格に対応しようと構造を変え始める。
それを周期的に繰り返すことで肉体と霊体がある程度バランスをとれるようになると、霊紋が開き、霊格が急激に高まり、身体能力が飛躍的に上がり――、その状態を「覚醒」と呼ぶ。
しかし、光咲の場合は特殊で、霊紋だけが開こうとしていて霊体にも肉体にも変化はない。
つまり、霊紋が開いても本来の隠人の能力を振るえず、霊感が強い一般人と変わらない。
邪の姿を視たり、声を聞くことができるが、それだけだ。
格が低いので相手にされることはない。
ちょうど、霊紋が閉じた後の隠人と同じ状態なのだ、と。
『今はまだ、霊紋を抑えることができます。このまま抑えが利かなくなって覚醒してしまうか、覚醒しないで済むか――、それは経過を見ないとわかりません』
望は覚醒の可能性が高いと言った。
覚醒に備え、すぐにでも修業に入ったほうがいいと。
両親も同じ意見だった。
だが、光咲は首を横に振った。
アレが四六時中視えるようになるのだと思うと怖かった。
紋が閉じても、アレが視えるのは変わらない。
なにより、自分が全く別のモノになってしまうようで――。
覚醒しない可能性があるのならば、そちらに賭けたかった。
何も知らない一般人としての時間を守りたかった。
両親も望も、光咲の意志を尊重してくれた。
ただし、条件が二つ出された。
一つは、紋封じの術を受けるために葉守神社に月に一度通うこと。
もう一つは、覚醒した時の為の保険として槻宮学園に入学すること。

「あの時、逃げないで修業してたら……!」

詩織の異変を見抜けたかもしれない。
邪が入ってくるのを防げたかもしれない。

だが、全てが遅い。
最悪の事態が起きてしまった。
「ごめん……、なさい……」
覚醒しつつあると告げられたのは、ひと月前。
最後に葉守神社に行った時だ。
目の前が真っ暗になったような気分で一日一日を過ごしているうちに、一真と詩織が槻宮学園に入学する為に戻ってくると連絡があった。
あの時は、二人が隠人だなんて思わなかったし、電話を受けた母も何も言わなかった。
ただ、景色がまた変わってしまう前に、自分が違うモノになってしまう前に、一分でも長く、同じ景色を見ていたかった。
「人」でいられる残り少ない時間を最高のものにしたかった。
自分が隠人だと一真に打ち明けようと思ったこともあった。
だが、いざとなると勇気が出ず、結局、鎮守様の噂話をするだけになってしまった。

『あたし、修業するよ』

半年前に兆が表れた若菜は迷うことなくそう言った。
『あの気持ち悪い奴ら、邪って言うんでしょ?修業して強くなって帰ってきて、ぶっ飛ばしてやるんだ!へへ、皆に隠れてコッソリ戦う正義のヒーローってかっこいいよね!』
西組全域の隠人が集まる合宿に参加するからと、卒業式の次の日に出かけて行った。
『カズ兄も、詩織ちゃんも、あたしが守ってあげるんだ!よぉっし!頑張って修業するぞぉ〜〜!』
一真達が戻ってくると知った日、そう宣言した妹はどこまでも本気だった。

『覚醒したとこで何にも変わらねぇし、んなもんで変わってたまるか!ってな』

あの日の妹の目に、さっきの一真の目が重なった。
「強いなあ、一真君も、若菜も……」
金平糖をまた一つ口に放り込む。
邪を目の当たりにしても、二人は怯まなかった。
前を向き、立ち向かうことだけを考えていた。
霊獣の血に怯えて立ち止まり続けている自分とは大違いだ。
「私は……、ダメだったよ……」
ぼんやりと開いてみた右手にはもうホクロはない。
代わりに薄い墨汁で描かれたような円がうっすらと浮かんでいる。
金平糖を噛んでも、消えるどころかどんどん濃くなっていく。
「あは、あははははははは……」
不意におかしくなった。
乾いた笑い声がシンとした部屋に響いた。
ここに留まっている自分がちっぽけで、どうしようもない子供に思えた。
「なにやってたんだろ……。私が守りたかったものは、とっくになくなってたのに……」
金平糖に涙の味が混じった。
妹も、幼馴染も、両親も。
大切な人達は、皆、前へ進んでしまった。
これ以上、「何も知らない一般人」に縋りついても、何の意味もない。

――もっと早くに気づけばよかった……

金平糖を噛み砕き、ポケットから袋を取り出す。
「今まで、ありがとうございました……」
葉守神社の名が入った紙袋に深々と頭を下げる。
紋封じの補助薬として渡された金平糖も、ここまで覚醒が進んでしまったら、もう効かない。
だが、それでいい。
「私も行かなくちゃ……」
小さな木の札を握り締めて立ち上がる。

襖を開けると、廊下には吹き飛ばされた襖と割れたマグカップがそのまま転がっていた。
「あ……」
恐怖が蘇り、足が震えた。
「しっかりしろ!光咲ィ!!」
パンッと両手でほっぺを叩き、気合を入れる。

――もう逃げないから……!


すうっと息を吸い、光咲は一歩を踏み出した。
ジンジンとするほっぺたの痛みが心地良かった。