春宵の邂逅

17話



通りは静まり返っていた。
元々、車の往来が少ない通りだが、これくらいの時刻は大通りを行き来するバスやトラックのエンジン音でもっと賑やかなはずだ。
(どっちに行ったんだ……?)
詩織の部屋の窓は閉じられていて、数時間前の出来事が嘘のようにひっそりとしている。
(あいつ……、裸足で外出てったんだよな……。足、切ったりしてなきゃいいけど……)
何か手がかりでもないだろうかと、家の屋根や周りの街路樹を眺める。
家の横は山への入り口だ。
山に入って行ったとしたら、一人で探すのは厳しい。
「……ん?」
屋根の一点に目を留める。
白い足跡のようなものが点々と屋根の上についている。
追っておくと、屋根でいったん途切れ、通りの道路に続いているようだ。
「……なんだ、これ……」
一番近くにあった足跡の傍に屈みこんでみる。
(なんか……変な感じするな……)
足跡に近づいた途端、腹の傷が疼き始めた。
何か関係があるのだろうか。
「邪が通った跡。邪跡っていうんだ」
聞き覚えのある声に振り向くと、ウインドブレーカーに身を包んだ少年が立っていた。
「それが視えるってことは、かなり霊感が強くなってるってこと……。その先に踏み込むかどうかが、人と獣の境目なんだ」
「……沖野?」
一真よりもやや低い背丈に黒い髪。
四年ぶりなので、記憶より若干変わっているが大人しい雰囲気は変わっていない。
五年生の時に同じクラスだった沖野彰二だ。
「久しぶり、斎木君。僕のこと覚えててくれたんだ」
「まーな。小五の時、市内まで遊びに行ったりしたよな」
彰二は嬉しそうに頷いた。
「あの時は楽しかったなぁ。僕、友達いなかったから……。遊びに誘ってくれたり、家に呼んでくれたのなんて、斎木君が初めてだったんだ。四年ぶりだと、町もいろいろ変わってるでしょ?今度、案内するよ」
「ああ、今度な」
一真は大きく跳んだ。

ポ……

一真のいた場所が黄色く光り、ぬかるみへと変わる。
彰二が表情を一変させた。
「さすが斎木君!今のは自信あったんだけどなぁ!」
「これでも不意打ちには慣れてるんでな!何かやらかそうとしてる奴ってのは、独特の匂いがするんだ!」
一気に距離を詰め、拳を繰り出す。
「うわっ!?」
通常ならば確実に命中しているはずの拳を彰二は体操選手のような動きでかわした。
「チッ」
軽く一回転して着地した彰二に息の乱れはない。
「それが覚醒した隠人の身体能力ってやつか……。霊獣っていうだけあって身軽じゃねーか……」
「まあ、覚醒したらこれくらいはね……。僕からみたら、覚醒しないで今の動きをできる斎木君のほうが凄いよ。
組長が一目置くはずだね」
彰二は左手首に手をやった。
右手に四枚の符が出現する。
「一応、確認しとくが……、お前も鎮守か?」
「うん。武蔵国現衆西組一番隊で鎮守補佐をやってるんだ」
彰二は符を構えた。
「組長……、鎮守役の命により、君をこの先に行かせるわけにいかない。補佐にとって、鎮守役の命令は絶対だからね」
「ほぉ……。思ってたより縦の関係厳しいんだな……」
「詩織ちゃんのことは聞いたよ。でも、今の斎木君が行ったって危ないだけだよ。僕達を信じて、斎木君は家で待っててよ!斎木君だって、邪気が体内に入って霊体が防衛反応を起こしてる危ない状態なんだ!そんなので邪と接触すれば、霊体が異常覚醒を起こして暴走しちゃうかもしれない……!」
彰二の目は真剣だ。
本心から心配してくれているのがわかった。
一真は包帯を巻いた左手を握り締めた。
「悪いな、沖野。別に、先輩やお前を信用してねェわけじゃねーんだ……。たださ、妹がヤバいモンにとり憑かれてどうなるかわからねェって時に、家で大人しくしてろってほうが無理だぜ……」
「斎木君らしいや……」
彰二は悲しそうに笑った。
「じゃあ、僕は鎮守役補佐として、君をここで止めなくちゃ……」
「ああ。オレも手加減はしねェ……」
彰二の右手の輪郭が赤く光った。

“我が気を食らいて、その威を現せ……”

手に灯った赤を吸い上げ、符が緑の光を放つ。

“十二天が一、青龍!”

手から放たれた三枚の符が龍のごとく緑の尾を引いて高速で飛来する。
(先輩が使ってたヤツか!?)
光の色は違うが、何らかの力を持っているはずだ。
むろん、そんなものに正面から立ち向かうつもりはない。
緑の光を横に跳んでかわす。
三つの光は真っ直ぐに直進し、夜の闇に消えた。
「次はこっちの番……!?」
ズシリと右腕が重くなった。
「なっ!?」
緑に光る符が一枚、右腕にぺったりとくっついている。
「さっきの三枚は囮。その一枚が本命だったんだ」
符を手に彰二がペロッと舌を出した。
「たいていの人は、引っかかってくれるんだよね」
「や、やるじゃねーか……」
引き剥がそうとしても腕が重く、力が入らない。
脚からも力が抜け、強烈な睡魔が襲う。
「テメ、何貼りやがった……?」
「十二天将の霊符の一つ、青龍だよ。今の一真君みたいに頭に血が上ってる人を眠らせるのに凄く便利なんだ」
「んだと……」
その説明を裏付けるように体がどんどん重くなっていく。
睡魔に抗うとグラグラと眩暈がした。
「ちゃんと家の中に運んどくから安心して寝ちゃってよ。今の僕なら、斎木君くらい簡単に持ち上げられるし。昔と逆だね」
(んのヤロ……)
どこか得意そうなその表情は、一真の中の何かを呼び起こすのに十分だった。
「ごちゃごちゃ言いやがって……」
睡魔で感覚もわからなくなった左手を無理やり動かし、右腕の符を掴む。
バチバチと火花が散るような音と共に左手に痛みが走る。
静電気を強めたような刺激は睡魔を和らげる程度には役立った。
「んなもん、剥がしちまえばいいんだろーがあああああああ!」
力任せに引き剥がす。
バチッと音を立てて緑の光が弾け、体が軽くなった。
ぐしゃぐしゃと怒りに任せて符を握り潰した。
「ほらよ、返すぜ」
手の傷が開いたのか、投げ捨てた符にはところどころ赤が染みていた。
彰二はというと、ゴミのように丸められた符を呆然と眺めた。
「め、滅茶苦茶だ……!発動した霊符を……!覚醒もしていないのに……!」
「さあて……。次はオレの番だな……」
べキリッと関節を鳴らす。
「中学入ってからは部活で発散してたんだけどな……。空手とか剣道も強い奴多くて楽しかったけどさ……。やっぱ細かいルール無しの拳の語り合いって燃えるよな……」
「う……あ……」
迫力に圧された彰二が半歩後ずさった。
「隠人は頑丈って言ってたっけなぁ……。人間が本気で殴った程度じゃ、ビクともしねェってことでいいんだよな?」
「い、嫌だな、斎木君。お、隠人でも個人差あるんだから。僕は体弱いほう……」
「やかましい!」
猛然と地を蹴る。
「いっ!?」
後ろに下がりながら彰二が数枚の符を放った。

“十二天が一、勾陣!”

黄色い光がマンホールの蓋ほどの盾を造り出した。
「邪魔だっっっ!」

バリッ

一瞬、碧に光った右の拳が中央に浮かぶ符を貫いた。
火花と共に盾が砕け散る。
符が破れ、焦げた紙片が地面に落ちる。
他の符もただの紙切れに戻ったように地面に落下していく。
「そんなっ!?」
彰二が悲鳴を上げた。
当然のごとく無視して踏み込んだ勢いそのままに左ストレートを叩き込む。

ゴッ

まともに鳩尾に一撃を食らった彰二は、咳き込んで地面に転がった。
「ダチだからな。顔面は避けといてやったぜ」
「ゲホ、さ、斎木君……、本当に……、ガホッ、か、覚醒してない、の……?」
涙目で彰二は咳き込んだ。
「今の……、人間業じゃなかったよ……?」
「…………オレもちょっとそう思った……」
両手を握りしめてみる。
包帯にはうっすらと血が滲んでいるが痛みはない。
腹もいつの間にか痛みが治まっている。
あれだけ動いたというのに、出血している様子はない。
小学生の時は喧嘩で、中学に入ってからは部活で、体中に怪我をしてきたからわかる。
この回復力は異常だ――。
「なあ、今のオレって覚醒してるのか……?」
彰二はジッとこちらに目を凝らしていたが、かぶりを振った。
「…………霊紋を確認できないから何とも言えないよ……。組長ならわかるだろうけど。でも、斎木君の霊格は高すぎる……。それで覚醒していないっていうんだったら、僕達は立つ瀬がないや……」
「そうか……」
汗を軽く拭い、一真は通りの先にある交差点を見やった。
「じゃーな。もうちょいしたら、松本先生が来るらしいから痛かったら診てもらえよ」
ジーンズの裾が引っ張られた。
「沖野……。勝負はついたろ?」
ため息交じりに呟く。
離すどころか、彰二は足首を掴んだ。
「……まだ邪魔すんならマジで沈めんぞ?」
「斎木君……、僕のことは信じてくれなくもいい!でも、組長のことは信じて!同じ現衆でも、あの人は僕達なんかとは全然違う!霊格が桁違いなんだ!組長はきっと詩織ちゃんのこと、助けてくれるから!お願い!あの人の邪魔をしないで!」
「沖野……」
春の温かい風が吹いた。
この町に戻ってきた時よりも、随分と温かくなった気がした。
「言いたいことはそれだけか?」
「え?」
「あのな、沖野。信じる、信じねェの問題じゃねェし、先輩の邪魔をするとも言ってねェ。オレは詩織を探しに行くって言ってるだけだ……。それをお前が邪魔するっていうから、ぶちのめしただけだ」
一真は左拳を握りしめ、振り向いた。
「で?どうする?ここでオレにトドメを刺されるか、とっとと手を離すか……。急いでんだ。五秒以内に選べ……」
「さ、斎木君……目が怖すぎ……」
怯えながらも彰二は手を離さない。
(あの幼稚園児に凄まれて泣いてた沖野が……。根性あるじゃねーか……)
感心し、口を開いた。
「いーち、にー、さーん……」
問答無用のカウントダウンに彰二がサッと青ざめた。
「ちょ、ちょっと!?本気!?本気なの!?う、でも、僕だって!鎮守補佐の面子があるんだあああああ!」
「しー、ごー……、残念だぜ、沖野……」
一真はヒョイッと右足を持ち上げた。
「歯ぁ食いしばれ……。一撃で沈めてやる……」
無表情にかつての友人を見下ろす。
「骨一本くらいへし折っても平気だよな?覚醒してんだし……」
「うわああああああ!?ちょっと待ってええええええええええええええ!!」
恐怖で顔を引きつらせた彰二は汗と涙をダラダラと流しながら手を離した。
「あー、くそ!時間食っちまったぜ!!」
かつての友人に見送られ、一真は決意も新たに大通りへと駆け出した。



「うう……」
彰二はブレスレットから折り紙とペンを取り出した。

“仮初の御魂よ、宿りて我が意に従え……”

折り紙が赤く光り、燕に姿を変える。
「く、組長の……、元へ……」
夜空へ飛び去る燕が、一真よりも先に到着することを祈る。
ブレスレットに手をやり、鼻を啜った。
「……こ、怖かった……。邪よりも怖かったよおおおおおおお……!ぅ、あああああああああああああんっ」
お気に入りの吸水性抜群のハンドタオルを握りしめ、彰二はハラハラと涙を流した。
「す、すみません、組長!すみませんっっ!あんなの、止めるの無理です!僕達が霊獣なら、斎木君は飢えた猛獣ですっ!邪よりも性質悪いですよおおおおおおおっっ!」
鼻をかむ音が夜の通りに響いた。