春宵の邂逅

12話



足音が遠ざかり、ドアが開閉する音が聞こえたのを最後に静かになった。
居住区へ戻ったのだろう。
今一度、人の気配が近くにないことを確認し、望はブレスレットの水晶の一つに触れた。
指先の霊力に反応するように水晶玉がチリッと光り、指先が小さな球体に吸い込まれていく。
「一枚くらいなら……」
水晶玉から抜いた指先は白い紙を掴んでいた。
水晶自体の霊力を軸にして「洞」と呼ばれる亜空間を造り出す結界の一種、袋玉だ。
霊符や武具は、この袋玉に入れて持ち運ぶ。
便利なので、カバンの中身を丸ごと入れている者も多い。
トレーナーを脱ぎ、肩の包帯の上に紙を貼り、瞼を閉じた。

“我が気を食らいて、その威を現せ……”

応えるかのように紙が青白い光を放つ。

“十二天が一、天一”

紙に複雑な文様と「天一」の文字が浮かぶ。
青白い光が肩を覆い、痛みが引いていく。
霊力を込めることで力を発揮する霊符の一つにして、回復の力を持つ「天一」だ。
「よかった、霊符を扱えるくらいは回復したみたいだ……」
本当は公園で結界を張って治療するつもりだったが、想像以上に霊力を消耗していたらしい。
一真に声をかけられるまで結界が解除されていたことにさえ気づかなかった。
「さすがに霊符を使っている所は見せられないからなあ……」
トレーナーを着なおし、別の水晶から正方形の紙とボールペンを取り出す。
必要なことを書き終え、四つ折りにして立ち上がる。
窓を開けると、先ほどよりも赤くなった空が広がった。
掌に紙を乗せ、霊力を集中する。

“仮初の御魂よ、宿りて我が意に従え……”

ふわりと浮き上がった紙が一羽の白い鳩に姿を変える。
「お爺様の元へ」
手を離れ、鳩は夕焼けの空へと羽ばたいていった。
「ふう……」
窓を閉め、布団に潜り込む。
我ながら少々厚かましいと思うが、今は少しでも霊力を回復させなければならない。
里長と祖父に強制的に非番にされた三日間。
邪を追い詰めたと仲間からの一報が入るギリギリまで休憩していた。
祖父達に監視されて横になっていたので肩と腹の傷は塞がったが、霊力はそれほど回復していない。
昼間も邪を鎮めたものの肩をやられ、応急処置を施していたが、二体目の邪を鎮めた時に傷が開いてしまったらしい。
それは、望の霊力が半減以下まで弱まっていることを示している。
(夜の巡察が始まるまでに少しは回復するといいけど……)
ここ数週間の邪の出没数から考えても、寝ている間に邪が出没する可能性が高い。
隊員に怪我人が出ないことを祈るばかりだ。
今夜は霊山から視察が来る。
それまでに邪を鎮めて神社に戻らなければならない。
何百年も生きた気難しい天狗と夕食会など気が重い。
そんな時間があるなら、霊力を回復させたいというのが本音だ。
(なにも、こんな時に来なくてもいいのに……)
先代の鎮守役主座だった祖父の霊紋はもう閉じてしまっている。
全くの戦力外というわけではないが邪を鎮める力は無いに等しい。
祖父と共に戦っていた鎮守達もまた、望が鎮守役を受けて一年も経たない間に霊紋が閉じるか、あるいは「蝕」を迎えて霊山に行ってしまった。
戦力は激減したのに、鎮守役を引き受けられる者は、望以来、一人も現れない。
特に、ここ一年ほどは南組の担当地区で「鎮守狩り」の異名を持つ化け物のような邪物が出没しているという。
南組では鎮守役に怪我人が続出していて、動ける鎮守役が激減している。
隣に位置する東組では警戒を強めるのに鎮守役が必要で、他の組にはこちらに助っ人を回せる余裕がないのだ。
(僕だって……、いつどうなるのかわからないのに……)
霊紋だって、いつまで開いているかわからないし、蝕が起きれば鎮守役を離れることになる。
なによりも、最近の霊体の衰弱――、これを霊紋が閉じる前兆でないと誰が言いきれるというのだろう。
(それにしても不思議だな……)
一真と会ったのは今日で三回目だ。
一回目は振り向きざまに人がいるのが分かった程度だったので、二回目というほうが正しいだろう。
金物屋で顔を合わせた時に襲った異常な既視感が気になって調べてみたが、やはり以前に会ったことはない。
同じ小学校に通っていたが、これといって面識はなかったはずだ。
だが、やはり懐かしい。
彼のことは信じてもいいと直感のようなものが告げている。
互いに何も知らないはずなのに――。
(もしかして……)
黒い手袋に隠れた左手の甲をぼんやりと眺める。
祖父と伸真は霊筋が近く、初対面ですぐに打ち解けたという。
伸真が鎮守役を退くまでの間、ライバルであり、背中を護り合う戦友でもあったと聞いている。
(そんなわけ……ないか……)
弾みかけた心を圧し止めて布団を鼻まで持ち上げる。
他人に希望を持つのは、やめたほうがいい。
勝手に期待して、違っていたら壁を感じて――、もう何度繰り返したかわからない。
だが、それも仕方がないことだ。
期待するほうが間違えているのだ、きっと……。

――だって、僕は……

押し寄せる睡魔が思考を押しやっていった。