春宵の邂逅

7話



「……ホントに客来ねーよな……」
店番三日目。
トレーナーの上に店の縫い取りが入った紺のエプロンをつけながら一真は唸った。
井戸端会議場にならないのは有難いが、あんまり客が来ないと暇すぎる。
ちなみに、割のいいバイトだからと光咲や詩織も誘ったが、二人は丁重に辞退した。
そのせいだろうか、座っているだけで時給が出ることがなんとなく心苦しい。
「しっかし、変わったもん売ってるよな、うちって……」
ただ座っているだけだと滅入ってくるので、とりあえず掃除でもとハタキと布巾を手に店内をうろうろと彷徨う。
棚に並んだ鍋、ケースに入った包丁といった日用品、農業用具、大工用具、物干し竿、何かの部品――、そのあたりはいい。
しかし、隅っこには、一キロから十キロまでの鉄アレイ各種や、二十キロを超えていそうなバーベル、鉄下駄、鉄扇……、何故か、微妙なポーズの鉄製の置物(鮭とかクマとか猫とか)までもがさりげなく並んでいる。
「……わからん……。ジイちゃんは何を目指してるんだ……」
手に持った布巾で鉄アレイの埃を拭い、一真は店の中を見回した。
あまり店の中に長時間いたことはなかったが、店内は記憶よりも広くて、いろんなものが置いてある。
「あそこだけ、なんか雰囲気違うし……」
客が来ないのをいいことに、店の中を散策していた一真は、空気の違う一角を見つけ、覗き込んだ。
宝石店にあるようなガラス張りの棚の中に、掌ほどの大きさをした長方形の物が五つほど、博物館のように間隔を空けて整列している。
「これって……」
「印籠ですよ」
声は真後ろから聞こえた。
「っっ!?」
心臓が跳ねるとはこのことだろう。
店内には誰もいなかったはずだ。
足音はもちろん、人の気配もなかった。
(え……?)
振り向いた先に、一人の少年が立っていた。
年は一真よりも下だろう。
小柄な体に、ややサイズが大きな水色のパーカーを羽織り、左手首には水晶のブレスレット、両手の甲を覆う黒い手袋をはめている。
中性的な顔に浮かんだ柔和な笑みは、どこか浮世離れした印象を受ける。
どちらにせよ、店番開始後初の客だ。
しかし、一真を支配していたのは、年が近い客が来たことへの驚きよりも強烈な既視感ただ一つだった。
(こいつ、知ってる……)
「会った」という明確な記憶はない。
だが、どこかで絶対に会っている。
それも、すれ違ったりしただけではなく、長い時間、共に在ったような――、深い信頼で結ばれていたような、そんな感覚――。
なのに、どこで会ったのか、自分達はどんな関係だったのか――、肝心なことは何一つわからない。
思い出そうと記憶を辿るほどに自分のことさえわからなくなっていくようで、気分が悪くなってくる。
ズルズルと得体のしれない深みに引きずり込まれていくような感覚を慌てて振り払った。
少年も琥珀の瞳を丸くして、こちらを凝視している。
何事か考え込んでいるらしい顔には同じような疑問符が浮かんでいる。
「あの……」
口を開いたのは同時だった。
「あ、どうぞ」
「あ、いや、そっち先で。客なんだし……」
「ありがとうございます。じゃあ、」
少年は咳ばらいをした。
胸元で円柱の水晶が揺れた。
「どこかで会いましたか?」
「オレも同じこと聞こうと思ってたんだけど……」
一真は今一度、少年を眺めた。
先ほどのような異様な既視感はもうない。
だが、やはり初対面とは思えなかった。
「会ったことは……ないと思う。オレ、四年前までこの町に住んでたんだけど……」
「四年前?」
「小五の冬くらいまで。でも、学年も違うぽいし……」
「四年前で小学校五年生なら同級生じゃないですね。僕はその当時は中学生でしたし。小学校の頃にも会った記憶はないなぁ……。すれ違ったくらいはしたかもしれないけど……」
「ハア!?中学!?もしかして、アンタ、オレより年上!?」
「今聞いた限りだと、二つほど上だと思うんだけど……。僕、この春から高校三年生です」
「げ。マジか?オレ、この春から高校だぜ!?」
少年は苦笑いを浮かべた。
「よく間違われるんですよ。本当の年齢より上に見られたことはないかな……」
「そうだろなぁ……」
しかし、随分と物腰が落ち着いている。
これで年下と言われても違和感があるかもしれない。
少年はにっこりと笑った。
「ところで、匠はいらっしゃいますか?」
「たくみ?」
古風な単語に眉を顰める。
そんな大層な呼称の人物はこの店にいない。
怪訝な顔をしていたのだろう。
少年は慌てたように言い直した。
「えっと……、店長!店長はいらっしゃいますか?」
「ジイちゃんなら出張中で……。あ、包丁預かってたとか?」
少年の眉がピクリと動いた。
穏やかだった空気がピンッと張りつめた気がした。
「ジイちゃんって……、もしかして、店長のお孫さん?」
「へ?そうだけど……」
「名前は?」
「あ、一真。斎木一真っていうけど……」
口調も浮かべた笑みもそのままなのに何故か気圧され、一真は聞かれるままに答えていた。
だが、不快な気分はなかった。
「一真君か……。そういえば、お孫さんが春から戻ってくるって言ってったっけ……」
何事か思案し、少年は頷いた。
「店長に取り次げますか?」
「え……、ちょ、ちょっと待ってくれ!」
一真はカウンターに走った。
中に置いていたノートをパラパラと捲り、少年の名前を聞いていなかったことを思い出す。
「えっと、な、名前は?」
「城田望です」
(城田……、城田望……)
パラパラとページを捲る。
楷書で書かれているので、読めないということはないが、ノート半分ほどのリストから一人の名を探すのは、思っていたよりも手間だ。
「……たぶん、最後のほうだと思いますよ」
「そ、そうなのか?」
何故、彼がノートの順番を知っているのかが謎だったが、とりあえず、アドバイスに従うことにする。
(城田……、城田……、あった!)
少年が言った通り、リストの一番最後に「城田望」の名があった。


「ジイちゃん、城田っていう人が来てるんだけど……」
今時珍しい黒電話の受話器を手に、一真はようやく電話口に出てきた祖父に「古くからの馴染」の名を告げた。
『城田?宗則か?』
「望。城田望っていう人が、ジイちゃんと話がしたいって……」
『おお、望君か!』
どうやら本当に知り合いらしい。
『彼とは近いうちに一度、話をせんといかんと思っておったんじゃ。ちょうどいい。代わってくれ』
「ちょっと待っててくれ」
これまた珍しいアンティークな置台に受話器を置き、一真は客間へと急いだ。
軽快なメロディーが廊下に流れる。

「あの、城田さん?ジイちゃんが代わってくれって……」
「わかりました。ありがとうございます」
缶コーヒーを啜っていた望は静かに立ち上がった。
慣れた様子で電話が置かれた突き当りへ歩いていく。
何度か客間に上がっているのかもしれない。
(もしかして、ずっと正座してたのか?)
少し凹んだ座布団をしげしげと眺める。
連絡先から離れた場所にいたのか祖父に繋がるまでの間、十五分ほどかかったのだが。
先ほどの望には脚が痺れている様子は全くなかった。
座布団に座る時は問答無用で胡坐をかく一真にとって、かなり風変わりな客だった。
(関係がさっぱりわからん……。ジイちゃんの知り合いってとこが、既に謎すぎるが……)
そもそも、祖父の店は金物屋だ。
見るからに日曜大工などしそうにないインドア派な高校生が何を注文しに来たというのだろう。
(……製菓グッズが一番ありそうなんだが……。緊急でほしい製菓グッズっていうのもないだろーし……)
光咲と詩織が楽しそうに製菓用品のカタログを眺めていたのを思い出す。
シフォンケーキ用の型がほしいとか言っていたような気がする。
外見から判断するわけではないが、望の雰囲気だとお菓子作りが趣味だと言い出したところで、驚かないだろう。
(家がケーキ屋やってるとか……)
後で光咲に聞いてみようなどと考えているうちにも、望は電話を取り、親しげに話し始めていた。
「ええ、その件で……。あ、いえ、急ぎませんから……。代わりの物はお借りしていますし……。え?もう祖父から話が?ありがとうございます」
決して聞こうと思っているわけではないが、廊下から話し声が漏れてくる。
店が静かなので筒抜けだ。
(あんま聞くもんじゃねェよな……。オレ、ただの臨時バイトだし……)
一真は店に戻ろうとした。
不意に望の声が硬くなった。
「一年ほど前から兆が出ていて情緒不安定?いえ、僕が視た感じだと、随分安定してて心配なさそうですが。え?一真君じゃなくて妹さんが?いえ、そちらはまだ……」
(オレ!?妹ってのは、詩織のことか!?)
思わず立ち止まる。
何故、祖父と望が自分達の話をしているのだろう。
「はい……。はい……。そうでしたか、兆が出たから町に……。ああ、だから槻宮を。じゃあ、お孫さん二人に兆が?へ?一真君は全く出ていない?でも、かなり格が高いようですが……。そうです、彼も恐らく隠人だと……。わかりました。この件は僕が預かっておきます」
和やかな口調に戻り、望は受話器を置いた。

「一真君……」
「いや、その、聞こえたっていうか……」
勢いで廊下に出たものの、どう切り出したものかと悩む。
望はある程度予想していたのか、穏やかに笑った。
「構いませんよ。少し、話しましょうか?」