春宵の邂逅

5話



「一真、話がある」
珍しく普通に夕食をとり、普通の時刻に風呂に入った伸真が真面目な顔で声をかけたのは、一真達が地元に戻って五日後の事だった。
「話?」
居間でテレビの裏の埃を掃除していた一真は顔を上げた。
画質が悪くなったテレビをなんとか復活させようと一時間ほど悪戦苦闘しているが、全く効果がない。
寿命だろうか。
「店まで来てくれんか?」
「いいけど……」
訝しみながら立ち上がる。
昨日から再開した店の話だろうか。
伸真が相変わらず切羽詰っている様子なので、この二日は一真が店番をしていた。
特に問題は起きていない。
というよりも、客が来ないのでトラブルも起きようがない。
「んで?話って何?」
「まあ、そこに座りなさい」
祖父が入って行ったのは店から行き来できる来客用の和室だった。
掃除の時はともかく、こうして改まって呼び出されるのは初めてだ。
やや緊張しながら用意された座布団に座る。
「まずは、これを」
伸真は懐から封筒を畳の上に置いた。
「……何?」
封筒は不自然に膨らんでいる。
家から何か届いたのかと思ったが、宛名はなく、封もされていない。
「開けてみなさい」
ますます不審な気分になりながらも、一真は封筒から中身を取り出し――、
「どえええええええええええ!?」
奇声を上げた。
「ちょ、これ、どうしたんだよ!?」
封筒から出てきたのは一万円札の束だった。
札束を持つ左手が思わず震える。
「うむ、百枚ほどある」
「ひゃ、百万!?」
日頃、目にしたことのない金額である。
目を白黒させる一真の前で、祖父は恐ろしいほど優しい目をした。
「お前と詩織には本当に感謝しておる。お前達が来てくれんかったら、わしは今頃、婆さんの元に逝っておったかもしれん……」
「縁起でもねーこと言わねェでくれよ……。否定しねーけど……」
「見ての通り、仕事が立て込んでおる。何もしてやれんが、せめて、それで必要な物をそろえなさい」
「机とか布団、四年前に使ってたので何とかなりそうだし、生活費はちゃんともらってるし……、こんないらねーと思うけど……」
生活費は両親から二人分を仕送りしてもらうことになっている。
しかし、初日に弁当を買って帰ったところ、「どうせ、わしの分も用意してもらうことになるんじゃ、会計は同じでいいじゃろ」
と生活費を渡された。
おかげで仕送りにはまだ手をつけていない。
新学期に必要な諸々はそこから出そうかと思っていたのだが。
「お前はそれで良くても、詩織は可哀想じゃろが」
「詩織?特に何も言ってねーけど……」
最初があまりにも酷かったためか、三日目くらいに、じっくり干した布団に「湿ってないよ、お兄ちゃん!」などと涙ぐんでいた。
あれはあれでかなり不憫だったが。
「フ、一真よ。女心というモノは曲者なんじゃぞ?わしも、よくそういうことを言って、『私の事をわかっていない』と婆さんからビンタを食らった……」
「え、そうなのか?」
「ああ。時折、拳と回し蹴りが飛んできたかのう……。ふふ、若かりし頃、怒り狂った婆さんが店の出刃包丁を持ち出して振り上げた時には死を覚悟したか……」
「……あの優しかったバアちゃんが……。何やったんだよ、ジイちゃん……」
「今は聞くな。お前も大人になればわかる」
「……あんま、わかりたくねェけど……」
一真は札束を眺めた。
「こんな大金、もらっても困るよ……。ジイちゃんが買ってやればいいじゃねーか」
「ふむ。じゃが、次に手が空くのを待っておったら、新学期が始まってしまいそうなんじゃよ……」
「そんなに……?」
――包丁研ぎが、そんなに忙しいのか?
疑問が過ったが、確かに祖父は、店の横の仕事部屋と、庭の倉庫と作業場を忙しそうに行ったり来たりしている。
一晩中、作業場に明かりがついていることもある。
店の隣の仕事部屋と小倉庫は一真や詩織、光咲までもが気軽に出入りできるが、庭の倉庫と作業場は厳重に管理されていて入ったことはない。
「この金で、新学期までに必要な物を揃えなさい。電化製品だって使い物にならんものばかりじゃろ?」
「電化製品……」
一真の脳裏を斎木家の家電事情が駆け巡った。
テレビはご臨終寸前だ。
他にも、釜の焦げ跡がとれない炊飯器、水の量を厳守しても溢れてくるポット、温度調整のつまみが折れた冷蔵庫、脱水機能が壊れた洗濯機、吸った埃が排気口から漏れてくる掃除機、蛍光灯を換えても暗いままの照明……。
数え上げればキリがない。
「そうじゃ、光咲ちゃんにも何か礼をしておいてくれ。あの子には世話になっとるからのう。ご両親には後でわしから礼をしておくが、あの子自身にも、何か良い物を選んでやりなさい。こればかりは、わしが選ぶよりも、お前達のほうがいいじゃろ?」
(光咲か……)
あれから光咲は毎日のように来てくれている。
台所が使えるようになってからは、詩織と一緒に昼ご飯を作ってくれたり、ゴミ屋敷の掃除を手伝ってくれたりと、彼女には感謝してもしきれない。
店を開けられるようになったのは光咲のおかげと言ってもいい。
そのうち何か礼をしなければと思っていた。
「わかった。有難く使わせてもらうぜ、ジイちゃん!家の家電、総入れ替えだぜ!」
「うむ。足りんかったら言ってくれ」
「え?」
少々驚く。
「ジイちゃん……、どっからそんな大金出てくるんだよ?店、昨日まで閉めてたし、客が来てるわけでもねェのに……」
「いろいろとな……。目に見えておるところだけが収入源というわけではない、とだけ言っておこう」
「……ジイちゃん、一応聞くけど……」
一真は祖父を真正面からヒタッと見つめた。
「光咲の親父さんの世話になるようなことしてねーよな?」
「当たり前じゃ」
「だったら、いいんだけどさ……」
伸真は大きな声で笑い出した。
「いらん心配せんでも、まっとうな商売をしておるわい。安心せい」
「べ、別に心配してるわけじゃねェけど……」
光咲の父親は刑事である。
そもそも伸真が何か黒いことをやらかしているなら、光咲が毎日家に来たりしないだろう。
「さて、ここからが本題じゃが」
「へ?さっきのが本題じゃねェの?」
「あれは、ついでじゃ」
伸真はやや改まった。
「実はな、明日から暫く出張することになった」
「は?出張??」
「うむ。ちょっとばかり仕入れにな」
「ああ、仕入れか」
ようやく店を開けられるようになったので、足りないものを調達に行くのだろう。
「留守番しとけばいいんだろ?どこ行くんだ?」
「信……、いや、長野のほうへ二週間ほどかのう」
「二週間?」
眉を顰める。
「仕入れに行くだけなのに、ちょっと長くねェ?」
「ここのところ、引きこもっておったら、先方から『たまには来い』と催促が来てのう。お前達が春休みのうちに、一度、顔を見せに行こうかと思っての」
「あーー、そーいうことか」
四年前も祖父は月に一度、出かけていたのを思い出す。
長い時は一ヶ月ほど戻ってこない時もあって、祖母が店番をやっていた。
「それで、相談じゃが」
祖父は古びた帳簿と鍵、ノートを取り出した。
「明日から店を頼んで良いか?」
「は?オレが??」
「この二日、見事に店を切り盛りしとったのを見せてもらった。お前なら大丈夫じゃ」
「……そりゃ、四年前に手伝いしてたからできなくもねーけど……。ややこしいのが来たら、わからねーぜ?二週間だけだったら、店閉めたらいいんじゃ?」
どうせ、客もそんなに来ないのだから。
しかし、祖父は首を振った。
「そうもいかん。ただでさえ、閉店を疑われとったのに、再開するなり二週間も閉めたら、また妙な噂が立つ……」
「そーかもしれねーけどさぁ……」
どうにも気が進まなかった。
町は古くからの知り合いが多く、買い物ではなく世間話をするためだけに来る客もいるのだ。
その手の客が来た場合、祖父がいれば祖父に振ってしまえばいいが、一真一人だと話し相手もしなければいけない事態も十分ありうる。
「オレ、新衛のおばちゃんとか苦手なんだよな〜〜。ジイちゃんが出張してるって言っても、帰ってくれねーぜ……、たぶん……」
金物屋は通りの他の家と距離を置き、角にぽつんと立っている。
横は山へと続く森が広がり、静かな環境だ。
ゆっくりと暮らすにはいいが、商売には全く向いていない立地条件である。
その為、常に閑古鳥が鳴いていることを知っている近所のおばちゃん達の井戸端会議場になることがある。
「……その時は、腹が痛いとでも言って引っ込んでおれば帰るじゃろ……」
「ジイちゃんも苦手なんじゃねーか……」
伸真は咳ばらいをした。
「むろん、タダでとは言わん。ちゃんとバイト料を払おう」
「バイト〜〜?」
昔は休みの日に一日手伝っても日給五百円だった。
さすがに、この年になってそれはないだろうが、せいぜい日給千円くらいだろう。
バイトとはいっても、手伝いのようなものだし。
身内だし。
店の商品が全く売れていないのではしょうがないとは思うが。
(二週間フルで店開けたら、まあまあ金になるだろーけど……、オレもやることあるからなあ……)
家と店の大掃除で、高校入学の用意は何にもしていない。
頭の中で、若干増える小遣いとおばちゃん達の井戸端会議場化した時のストレスを天秤にかけてみる。
ややストレスのほうが重い。
気乗りしていない心中を見透かしたかのように、祖父は人差し指を立てた。
「うむ。時給千円でどうじゃ?」
「時給!?時給で千円!?」
「朝十時から五時までで構わん。この帳簿にちゃんとつけてくれたら、戻った後にその分を支払おう。途中の昼休憩も仕事時間として計算しても構わん。売上があれば、時給に上乗せしよう。ノルマは一切なし、休憩も適当にとってくれて構わん」
「なっ!?」
衝撃が襲った。
(な、なんなんだ、この、店の売り上げを無視した高待遇は!?)
高校生のバイトの時給など知れている。
それを、あんな、一日中座っていても、客が一人来ればいい程度の金物屋の店番をするだけで、時給千円。
日給だと七千円! 立派にバイトではないか。
ガタンッと音を立てて心の天秤が傾いた。
「ま、マジ?」
「どうじゃ?詩織や光咲ちゃんが手伝ってくれたなら、その分も帳簿につけておきなさい。人数分払おう。土日は休んでも構わんし、生活費は別に置いていく。五時を過ぎたら、一分単位で残業代も出そう」
「ジイちゃん、もう一回聞くけど……」
「なんじゃ?」
「本っっっ当〜〜に、光咲の親父さんの世話になるようなことしてねーんだよな?」
「大雑把なくせに、妙なところは小心者じゃのう……」
「犯罪者になりたくねーだけだ」
「安心せい。ご町内公認の商売じゃ」
「……信じるからな、ジイちゃん。なんかあったら、オレは詩織を連れて大坂に逃げるけど、いいんだな?」
「むろんじゃ」
「それなら引き受けるけど……」
「おお、やってくれるか!任せたぞ!!」
伸真はノートを手にした。
「一つだけ。このノートに名前のある人が来たら、ここにある番号に連絡をくれ。繋がらんようなら、客間で待ってもらってくれ」
ノートをパラパラと捲ると、ちょうど真ん中のページあたりまでびっしりと名前が書き込まれている。
どれも、一真が知らない名だ。
「……もしかして、その来るかもしれねェ客の為に店を開けるのか?」
「そうともいうかのう。古くからの馴染ばかりでな、緊急の用向きが多いんじゃよ」
「この番号に電話すればいいのか?」
「うむ。頼んだぞ。あとは、包丁を取りに来る人がおったら渡してくれ。研ぎ終わったものは名札をつけてわかるようにしておく」
「やってみるけど……、後で細かいこと言わねェでくれよ?」
「フ、わしがやるより正確じゃろう。難癖つけたりせんから安心せい」
一抹の不安が過ったが、とりあえず祖父を信じることにして、一真は帳簿と鍵を受け取った。