春宵の邂逅

1話



「見て、見て!槻宮学園のバス!新学期からあれに乗るんだよね!?」
「近いし、オレらは歩きじゃねーか?」
「え〜〜〜〜〜!?」

 バス停から下宿予定の祖父宅へ向かう道すがら、リュックに紙袋を下げた詩織はいつになくはしゃいでいる。
 ワンピースの上に羽織ったポンチョが少しズレているのに気づき、慌てて直した。
 四年前、大坂へ転校してから。元から社交的な一真はすぐに新しい学校に溶け込めたが、人見知りが激しい詩織はなかなか馴染めなかった。遅れて同じ社宅に越してきた同じ年の女の子と友達になったおかけで、ようやく学校に通い始めたが、その子は去年、親が他の支部に転勤になったとかで、引っ越してしまった。

「しっかし、思ったより変わったな」
 転校してからも何度か両親に連れられて祖父の家に来ていたが、いつも慌ただしくて、ゆっくり街を見回す時間はなかった気がする。
 四年前には空き地だった場所に家があったり、歩道が舗装されていたり、街灯が増えていたりと街並みは微妙に変わっている。街の奥にある槻宮学園が大学・高等部に加え、三年前から中等部を開校したのもあるだろう。
 今回、一真達が両親の元を離れて戻ってきたのは、この槻宮学園の高等部と中等部に兄妹揃って合格した為だった。
 四年前、一真は小学校五年生、詩織は小学校二年生……、それも、三学期からという、あまりにも中途半端な時期での急な転校だった。
 詩織が不登校寸前にまでなったことに責任を感じたのだろう。いつまた急な転勤があるかわからないからと、兄妹そろって中学と高校に入学するこの年に、知り合いが多いほうがいいだろうと、こちら側の学校をわざわざ受験させたのだった。
 詩織は必死に勉強し、一真はというと、受験勉強はしていたものの特に行きたい学校もなかったので、両親が希望するままに槻宮学園を受験した。
 詩織のはしゃぎっぷりを見ていると、両親の判断は正解だったようだ。
  (ま、いっか。槻宮は大学もあるっていうし)
   学校案内やネットで調べた限り、評判はかなりいい学校だ。グラウンドも大きく、設備も最新で、学食も充実しているらしい。
 なにより、この一年ほど沈んでいた詩織があんなに嬉しそうにしている。妹が暗い顔で塞ぎ込んで泣いている姿はもう見たくない――、
 一真が槻宮を志望した理由があるとすれば、それかもしれない。

  「あっ!見えて来たよ、お兄ちゃん!おじいちゃんの家だぁ!」

 通りの端――、森に隣接するように大きな屋敷と「斎木金物店」の看板が見えた。



「……閉まってるね、お兄ちゃん……」
「ああ……」
 祖父が営む金物店はシャッターが閉められていた。
「……お休みかな?」
 詩織は屋根を見上げた。
「……おじいちゃんも春休みとか……」
「なんで?」
「シャッター、隅っこに蜘蛛の巣張ってるから……」
 言われてみれば、確かにシャッターと屋根に跨るように白い蜘蛛の巣が張っている。
「……しょーがねェ、裏口から入るか」
 預かってきた鍵を確かめながら、一真は内心で首を傾げた。  四年前まで両親と共にこの家に住んでいたが、店が二日以上休むのは、冠婚葬祭を除き盆と正月だけだった。


「おっかしいな……。今日、来るって言っておいたのに……」
 何度かチャイムを押してみるが、やはり返事はない。携帯を取り出してかけてみるが、繋がらない。祖父が出ないのではない。この町は東京に属するというのに、電波事情が恐ろしく悪いのだ。今だって、電話がかかる、かからない以前の問題で、電波が全く受信できていない。
 仕方なく一真は合鍵を取り出した。
「ジイちゃーん、今着いたけど……」
 裏口に入ってすぐのところに段ボールが数個積まれていた。一真と詩織の荷物だ。
 二人して靴を脱ぎ、上がったもののどうしようかと悩む。
「おじいちゃーん、着たよーーー」

 きたよーー

 たよーー……


 控えめに呟いた詩織の声がやけに響いた。
「ねぇ、お兄ちゃん……。お父さんが心配してた通りじゃない?」
「なんつーか、予想以上にヤバいかもな……。三日前は電話が繋がったっていうから、安心してたんだけどな……」
 ひそひそと話し合う。
 二人が浅城町の学校を受験したのは、もう一つ理由がある。
 すなわち、祖父・斎木伸真の生活改善の為だ。
 去年、祖母が亡くなってからというもの、すっかり破綻した生活を送っているらしい伸真の孤独死を本気で心配した父が、「下宿」という名目で目付役を送り込んだのだ。
 実際、空腹で倒れているところを訪ねてきた客に発見され、病院に運び込まれたこともあったらしい。  そういう差し迫った理由でもなければ、いくら故郷とはいえ、まだ中学校と小学校を卒業したばかりの子供を二人だけで東京までやったりしないだろう。
 ちなみに、その生活破綻癖は息子の父にもバッチリ受け継がれていて、母は自分の旦那の生活を監督しなければならず、大坂を離れられない。

「ジイちゃーん、入るからなーーー?」

 廊下へと続くドアを開け、一真は言葉を失った。
「お兄ちゃん?どうしたの?」
 ひょこっと覗き込んだ詩織が小さな悲鳴を上げた。
 散乱した服、散らかっている野菜の皮らしきもの、ぐちゃっとした謎の液体、割れた皿に、食べ終わったカップ麺、粗大ごみ置き場から拾ってきたようなガラクタ……、そういったものが廊下を埋め尽くしている。
 もはや、ゴミ屋敷一歩手前、いや、ゴミ屋敷である。
「ぐおおお、遅かったかあああ!ジイちゃーーん!!生きてるかーーーーーーーーー!?」
「待って、お兄ちゃん!スリッパ履かないと、靴下汚れるよ!!」
「お、そうだな。そこらへんにスリッパあったよな?」
「確かね、ここの棚に……」
 詩織が記憶を頼りに引っ張り出してきたスリッパは埃まみれだった。
「靴下、真っ白になっちゃった……」
「履かねェよりマシだ!何が落ちてるかわからねェ!ジイちゃん家、金物屋だからな!」
「うん!」

 二人して飛び込んだ屋敷の中は――、どの部屋も散らかり放題だった。
「いねェ……!ここにもいねェ……!!」
 次々にドアや襖を開けながら、屋敷を進む。
 最初は雨戸を開け、換気を試みていたが、部屋数の多さに途中で諦めた。
「うう、どのお部屋も汚いよぉ……」
 詩織が這い出てきた黒い小さな虫に悲鳴を上げて後ずさった。
「詩織、キツかったら裏口で待ってろよ?」
「裏口に一人でいるほうが怖いから……ついてく……きゃあああああああああっ!?」
 半泣きになりながら、詩織は一真にしがみついた。
「どうした!?」
「お兄ちゃん、あ、あれ!あれえええええええええ!!」
 脱ぎ捨てられたシャツの陰から日本人形の白い顔が覗き、こちらを眺めていた。虚ろな目が恨みがましくてかなり怖い。
「お兄ちゃあああああああん!あのお人形、絶対、呪いの人形だよ!!おじいちゃん、呪い殺されちゃったのかも!!お父さんが心配してたみたいに腐乱死体になっちゃってたら、どうしようううううううう!」
「よく見ろ、あれはバアちゃんが大事にしてた市松人形だ!大丈夫だろ、たぶん……」
 しかし、別の意味で祟られそうな気がした一真は人形をタンスの上に避難させ、深々と頭を下げて拝んでおいた。
「くそ!なんで、こんな無駄に広いんだ!この家!!」

 祖父の家は先祖代々続く旧家だとかで、やたらと広くて部屋の数も多い。
 思い起こせば、祖父母と一真達家族四人が住んでいて、一真と詩織が一部屋ずつ使っていても、まだ空き部屋があった。
 小さい頃は疑問に思わなかったが、今ははっきりとわかる。
 こんな広い家を家事全般、特に掃除と洗濯が苦手な七十代男一人で維持しようとするのは無謀すぎる、と。

「どの部屋も湿気臭ェな……。後で、全部の部屋の窓、全開にしねーと……」
 がたっと何かが落ちる音がした。
「なに、これ……?っきゃああああああああああああああああああ!?」
「どうした!?」
 キャッチしてしまったらしい般若の面を泣きながら放り投げた詩織が真後ろの床で泡を吹いたペットボトルを発見し、わたわたと片足を上げた。恐らく、悪臭が漂っているのだろうが、既に鼻は麻痺している。
「お兄ちゃあん……、お化け屋敷よりシュールで怖いよぉ……」
「泣くな、詩織!泣いてる暇があったら、オレのバッグからマスク探してきてくれ!!これ以上、ここの空気を普通に吸うのはヤバい!ついでに外出て深呼吸してきていいぞ!」
「そんな……!詩織だけ綺麗な空気で深呼吸なんてできないよ!おじいちゃんが見つかるまで、詩織も頑張るもん!とっくに臭いわからないから、平気だもん!!」
「詩織……、無理だけは絶対にするな?いくらなんでも、オレ一人で二人を救助するのは無理だ!いいな!?ヤバくなったらオレに構わず外に出ろ!」
「お兄ちゃん……。大丈夫!詩織、こんなことで挫けないから……!待っててね、すぐに戻ってくる!!」
パタパタと走っていく妹の足音を聞きながら、一真は一息ついた。
 今のうちにと居住区から店へと続く廊下を小走りで抜ける。
 この先がどうなっているのか想像もつかない以上、詩織を連れていくわけにはいかない。
「行くぜ!」
 妹が戻ってくる前にと覚悟を決めて店へと続くドアを開け放つ。
 店に入るまでに部屋がいくつかあり、客間と向かい合って小物用の倉庫、店のカウンターに直結している仕事部屋がある。
 伸真がいるとすれば、仕事部屋か倉庫の可能性が高い。
「をを!?」
 思わず、感嘆の声を上げた。
 てっきり、足の踏み場もない惨状を想像していたが、店のほうは片付いている。とはいっても、床がちゃんと見えるレベルである。
 これが自宅の部屋で、母親に目撃されようものならば、一真は尻を蹴られて片づけを強要されるだろう。
 ともあれ、足を止める必要がないのはいいことだった。
 倉庫へ続くドアに手をかけた。鍵はかかっていない。

(よっしゃっ!)

 いつもは鍵がかかっている倉庫が空いているということは、倉庫か、繋がっている仕事場に祖父がいる証拠である。
「ジイちゃん、入るぜ!」
 声をかけて入ってみるが、薄暗い倉庫には誰もおらず、仕事場へ続くドアから暖色の灯りが漏れてきている。
 祖父は仕事場にいるようだ。

(倉庫は……ちゃんと整理してるぽいな……)

 やはり、そこは数百年続く老舗の金物屋である。
 ゴミだか必要なものなのかすらわからないもので溢れている居住区と比べると、別の家に来たみたいに片付いている。

(やっぱプロなんだな……)

 当たり前のことを妙に感心しながら、一真は仕事部屋へと続く扉を開けた。

「ジイちゃん!ここ……か……?」

 一真は思わず足を止めた。
 怖れていた祖父の腐乱死体はなかった。
 代わりに、そこにいたのは、鬼気迫る表情で庖丁を研ぐ祖父の姿だった。
 しゃこ、しゃこ、と規則正しい摩擦音が響く。
 還暦を越えながらもふさふさとした白髪交じりの髪、額にハチマキを巻き、小袖に前掛けという格好の伸真は孫の姿に気づくことなく、血走った眼で作業に没頭している。詩織がいたら、悲鳴を上げそうな光景だ。
 ただ、手元を見据え、一心不乱に研いでいる物は、どこのご家庭にも一本はありそうなごく普通の包丁である。

「む?」

 ふと伸真は気配に気づき、顔を上げ、

ザンッ

「うを!?」

 慌てて飛びのいた反動で尻餅をつきながら、一真は足元に突き刺さったソレをまじまじと眺めた。
「しゅ、手裏剣……?」
 畳の上に突き立っているのは、忍者がよく投げている四枚刃の手裏剣だった。
「おお、一真じゃないか!」
 たった今、孫に気づいたといった様子で伸真は相好を崩して立ち上がった。
 祖父は立ち上がるとかなりの大男だ。
「じ、ジイちゃん……?」
「また背が伸びたのう!ワシにはまだまだ及ばんがな!」
 カッカッカと笑う祖父には悪意は全くない。
「ジイちゃん、こ、これ……」
 手裏剣を指差すと、伸真は壁の画びょうを取るように、慣れた動作で引っこ抜いた。
「戸締りをしておるのに急に気配が動いたもんじゃから、賊でも入ってきたのかと思って、つい投げてしもうたわい。咄嗟にかわしたところは、さすがじゃが……」
「つ、ついって……」

 ――「つい」で久しぶりに会った孫に手裏剣投げるのか……?

 祖父の奇行に呆気にとられていると、伸真は真面目な顔をした。
「いかんぞ、一真。身内とはいえ、無沙汰しておった家に上がる時は、ちゃんとインターホンを鳴らさんと。まあ、今回は真にも問題があるがのう……」
「へ、お、親父?なんで?」
「こっちに来る日が変わったなら連絡くらい寄越さんか。来るとわかっとったら、片づけぐらいしておくわい」

 ――こんの、クソじじい……

 一真の中で何かがブツッと音を立てた。
「何言ってんだよ、ジイちゃん!今日来るって言っておいただろ!?荷物だって届いてるし、母さんが三日前に電話したら、ちゃんと出たって言ってたんだからな!!」
「なんと!?十三日ではないのか!?」
 伸真が目をやった壁には日めくりカレンダーが十三日の日付のままになっている。
 一真はずかずかと仕事部屋を横切り、日めくりカレンダーを三枚ほど破った。
「今日は、三月十六日!最初っから、十六日の夕方くらいに着くって言っておいただろ!?ついでに、ちゃんとインターホン鳴らしたし、何回も呼んだんだからな!!」
「そ、そんな馬鹿な……!ちゃんと時計を見て仕事しとったはずじゃが……」
「時計ィ〜〜?」
 見上げた鳩時計は、六時半を指している。
 秒針は動いておらず、鳩が飛び出たまま止まっている。

「……壊れてるじゃんか……」
「なんとっっっ!?」

疲れた一真の前で、祖父はあんぐりと口を開けて硬直したのだった。