春宵の邂逅





夕闇の中で人の往来が途絶えた橋が黒い塊に変わっていく。
まるで闇に喰われているように見えて、一真はブルっと体を震わせた。
「寒っ、そろそろ帰らねーと……」
川面を吹き抜ける十二月の風のせいにして、スーパーの袋を手に立ち上がる。
後ろの土手で自転車を止める音がした。
「一真君!」
振り返ると赤い自転車を降りた少女が手を振りながら器用に土手を駆け下りてくる。
「光咲?」
「よかったぁ!やっと見つけた!」
耳の下でそろえた髪を風に遊ばせ、学校では「大人しい」で通っている幼馴染はぴょこっと川原に着地した。
赤茶色の髪がふよふよと耳の下で揺れた。
「もうっ!家に行ったらいないし、お使いだって聞いたから<信条>にも行ったけど、いないんだもん!こんなところで泣いてるなんて思わなかったし」
「泣いてねぇよ」
「えーー!?だって、ブルーな感じで川を眺めてたじゃない!転校するのが嫌で入水しちゃったらどうしようって……」
「……んな寒いことするわけねーだろ……。こんな忙しい時に服濡らして帰ったら、母さんに半殺しにされるし……」
一真はため息をついた。
ちなみに、<信条>というのは、街で唯一のスーパーである。
「ちょっと片づけサボってただけだって……」
スーパーの袋をこれ見よがしに振ってみせる。
ガムテープ、ビニル紐、使い捨ての掃除用シート……、引っ越し準備で切らしてしまった日用品が袋から覗いた。
「急に決まったからさ。朝からジイちゃんもバアちゃんも、母さんも忙しいし、詩織は『行きたくない』って泣いてるし、勘弁してくれって感じだよな……」
「うん……、ホントに急だよね」
父の仕事の都合で引っ越しが決まったのが三日前のことだった。
あまりのことに絶句する一真と妹の詩織を余所に話はどんどん進み、昨日の終業式が急遽、「お別れ会」になってしまった。
ちなみに、父は既に大坂に行って新居の用意をしている。
「大坂かあ。遠いよね……」
「ん〜〜、明日から大坂に住むって言われても、全っっ然、実感ねェけどな……」
新学期が始まれば、またいつもの学校に登校するのが当たり前だと思っていた。
自分の意志と関係ないところで動いていく現実に、夢でも見ているような気分だ。
光咲はごそごそとポケットから小さな紙袋を取り出した。
「これ……、お餞別……」
「葉守神社?」
受け取った紙袋には町で唯一の神社の名が印刷されている。
中から【災難避け】と書かれた小さなお守りがコロンと転がり出た。
「……災難避け?交通安全じゃねェの?」
「うん……だって……」
光咲はグッと両手を握りしめた。
「一真君って喧嘩っ早いから!大坂のサングラスかけたお兄さんに因縁つけられて、『骨折れたぞ、金で解決じゃあああ』ってなりそうだから……!そういうのに遭わないようにって……!!」
「そーいうのって、災難避けで何とかなるか……?」
「あ、あとね、大坂の人って、虎柄と縦縞見たら興奮するんだって!そういう服着て、夜に外歩いたらダメだよ!?メガホン持った人達に、お堀に投げ込まれちゃうんだって!」
「どーいう番組観てんだよ……」
「とにかく!危ないんだからね!夜は独りで出かけたらサングラスのおじさんがドス持って襲ってくるんだからね!!」
「あ〜〜、わかった、わかったって」
光咲なりに心配してくれているらしいのはわかるので、一真は頷いてお守りをポケットに入れた。
「佐藤とか池田が鬱陶しかったら、いつでも呼べよ。ぶっ倒してやるからさ」
「うん……、ありがとう」
光咲は一瞬だけ泣きそうな顔をした。
パーマをかけたような綺麗な癖毛は、その色と相まって、クラスの男子によくからかわれていた。
いつだったか、一真が拳に物を言わせて、からかっていた一団を叩きのめしてからはパッタリとなくなったらしいが。
「いつでも戻ってきてね?サングラスのお兄さんに追いかけられたら、いつでも逃げてきていいんだから!!私が匿ってあげるから!!」
「お前、昨日やってた『ヤンキー戦争 大坂編』観ただろ……」
いつも通りのノリで幼馴染と最後に話したのは、引っ越し前日の夕方だった。
「たぶん、またすぐに会える」そんな気楽な調子でいた一真が、それからの四年間で彼女に会うことはなかった。



「次は浅城町、浅城町……」
軽快なアナウンスに一真は我に返った。
うっすらと窓に映る顔は、夢の中よりもいくぶんか大人びていて、相変わらず硬い質の茶髪は寝癖のようにツンッと伸びている。
大坂から東京に戻り、更に電車とバスを乗り継ぎ――、最後の乗り継ぎを終えて安心したのか、ウトウトしていたらしい。
「お兄ちゃん、次だよ!!」
隣に座っていた詩織がやや興奮気味に身を乗り出してボタンを押した。
肩の少し上で切り揃えた栗色の髪が忙しく揺れる。
「若菜ちゃんとか、光咲お姉ちゃん、会えるかな!?引っ越ししてないよね!?」
「会えるんじゃねェか?近所に住んでんだし……」
ジャケットのポケットから小銭入れを取り出し料金を確認する。
問題はないようだ。
急カーブにスポーツバッグに結びつけた<災難避け>のお守りが揺れた。

あれから四年――、一真は再び故郷・浅城町に戻ってきた。